2024年3月23日、脳神経外科医の福島孝徳さんが、死去したと報じられました。
1970年代から臨床の現場にこだわり、独自の視点から低侵襲・最新の手術を手技を考案し、驚異的なペースで手術を行ってきた“ゴッドハンド”“天才脳外科医”と呼ばれた方です。
今回は、福島孝徳さんの家族構成について調査します!
福島孝徳wikiプロフィール
初めに、福島孝徳さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:福島孝徳(ふくしま たかのり)
- 生年月日:1942年10月15日
- 年齢:享年81歳
- 出身地:東京都
- 職業:脳神経外科医。脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者
- 学歴:都立戸山高等学校、東大医学部
- 前職:東京警察病院、三井記念病院脳神経外科部長、南カリフォルニア大学医療センター脳神経外科教授、デューク大学脳神経外科教授、福島孝徳記念病院
東京大学病院の内科医師である叔父に憧れ、医師を目指したそうです。
都立戸山高等学校を経て、東大医学部に入学。卒業後は東京警察病院に入社し西ドイツへ留学。
1978年の帰国後は三井記念病院脳神経外科部長に就任し、頭部を大きく切開することなく、数センチメートルほどの小さな穴から顕微鏡を使い巧みに脳腫瘍を切除、縫合する鍵穴手術(キーホール・オペレーション)を始めました。
1985年には鍵穴手術を確立しましたが、臨床が重視されない「論文の数と人脈」が医師の評価基準とされる日本の医学界に疑問を持ちます。
48歳の時に南カリフォルニア大学医療センターに脳神経外科教授のオファーを受け渡米。鍵穴手術で難手術を成功させる手腕から「神の手を持つ男」「ゴッドハンド」や「侍ドクター」と呼ばれました。
その後は、世界中を回り難易度の高い脳腫瘍手術・診察を行い、これまでに20,000人以上の命を救っています。
また、全国の脳外科医を集めたセミナーの自費主催、後進育成などに熱心に取り組みました。
日本では現在は森山記念病院東京脳神経センター病院を日本国内の拠点とし、全国に福島孝徳の名が付く病院が展開されています。
2024年3月24日、公式サイトで福島孝徳さんがアメリカで永眠したことを報告しました。
【訃報】"ゴッドハンド"脳神経外科医の福島孝徳さん死去 81歳https://t.co/G4dO0gJFdR
手術手技「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」を開発。世界中の患者から絶大な支持を受け、世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」「The Last Hope」と賞賛されていた。 pic.twitter.com/xRbwRdc2CT
— ライブドアニュース (@livedoornews) March 23, 2024
享年81歳でした。
福島孝徳の家族構成|嫁はスレンダー美人で息子娘の4人家族!
福島孝徳さんの家族構成は、嫁と子供が2人です。
嫁
福島孝徳さんの嫁についてですが、
福島法子さん
一般の方のようです。
ですが、法子さんの還暦パーティーでの画像がありました。
えっ!若い!しかもスレンダーな美人ですね♪
2017年で60歳ですので、1957年生まれ。2024年現在は66歳です。
福島孝徳さんとは、15歳の年の差婚!
動画では、「子供も育ち、そろそろ孫ができるころかな」と語っています。
息子
福島孝徳さんの息子についてですが、
公表されていません。一般の方のようです。
還暦パーティーの動画では、そろそろ孫ができるころと語っていたので、結婚している年齢と推測します。
娘
福島孝徳さんの娘についてですが、
公表されていません。一般の方のようです。
ですが、福島孝徳さんは、娘は医学部に進学し脳外科医になることを望んでいると語っていました。
現在は、医者もしくは医療系の仕事に携わっているかもしれませんね。
福島孝徳の家族構成|両親も調査!
福島孝徳さんの両親をご紹介します。
父親
福島孝徳さんの父親は、
神職で明治神宮の宮司であった福島信義さん
戦後空襲で焼失した明治神宮社殿の復興の際に、復興奉賛会事務局長などで尽力した方で、明治記念館の館長も20年以上勤めた方だそうです。
父の福島信義さんは、明治神宮宮司のほかに明治記念館の館長も20年以上務めるなど、「明治神宮を復興し、その運営を成り立たせることに一生をささげた」(孝徳さん)人だった。
ews.yahoo.co.jp/articles/0ce82dd637a88d92b0266674313d4a4bb090ccee?page=1
福島孝徳さんも。「明治神宮の神様を心のよりどころであり支え」とし、手術前は神様にお祈りするそうです。
「私は土日も手術、夏休みも正月休みも一切とらない。手術前は、『一生懸命やりますから助けてください』と神様にお祈りします。世のため人のために朝から晩まで働いていれば、必ず神様が見ていて助けてくれる。明治神宮の神様は、心のよりどころであり、支えです」
ews.yahoo.co.jp/articles/0ce82dd637a88d92b0266674313d4a4bb090ccee?page=1
福島孝徳さんは、白足袋を履いて手術に臨んだことで知られています。
白足袋を履くのは機能性だけではなく、「お能の舞台に上がるように、心を引き締めるため」とも語っています。手術室を神聖な場として捉えていることがわかりますね。
「白足袋を履くのは機能性ばかりじゃない。お能の舞台に上がるように、心を引き締めるためです。脳外科は、医者の技術一つで患者さんが元気に家に帰れるか、車椅子の生活になるか、まひが残るかが紙一重で決まるんですから」
ews.yahoo.co.jp/articles/0ce82dd637a88d92b0266674313d4a4bb090ccee?page=1
母親
福島孝徳さんの母親は、
福島和歌子さん。
深川の富岡八幡宮の宮司のお嬢さんで、府立深川高女を出た才媛。
ですが、深川生まれのちゃきちゃきした江戸っ子だったようです。
福島孝徳さんは、顔も話し方も母親そっくりだそうですよ。
母親の和歌子さんは、深川の富岡八幡宮の宮司のお嬢さんで、府立深川高女を出た才媛です。
https://dr-fukushima.com/blog/20230922.html
福島孝徳さんは中学時代にグレたことがあったそうで、母親にかなり心配をかけたようです。
父親は、『子育てには男は口を出さない』という方針で、子育ては母親のワンオペでした。
孝徳さんは中学時代からぐれ始めて、和歌子さんは本当に心配されていましたよ。お父さんの信義さんは、家庭をほとんどかえりみず『子育てには男は口を出さない』という人で、父兄会にも一度も出席したことがありません。
https://dr-fukushima.com/blog/20230922.html
高校生の時には、なんと「年上女性と同棲を始めた!」そうですが、その時は母親と叔父が連れ戻したとのこと。
その後受験勉強を始めましたが、東大受験は失敗。一浪して東大医学部に合格したそうです。
同棲生活から母と叔父に連れ戻され、受験勉強を始めました。それまで一夜漬けでなんとかなっていたのですが、さすがに東大入試はそういうわけにはいかず、浪人を余儀なくされました。翌年は東大も慶應も医学部に受かりました。慶應のほうがお洒落なイメージがあるので、『慶應に行きたい』と父に言ったら、『お金がないので東大に行け』と言われました。
https://dr-fukushima.com/blog/20230922.html
心配かけ通しですね。
福島孝徳さんは母は本当に偉かった。東大に入り、医師になれたのもすべては母のおかげ。『人間は初志貫徹が一番大事』というのが母の教えです。と語っています。
お読みいただきありがとうございました。
福島孝徳さんのご冥福をお祈りいたします。
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