オープンハウス社長荒井正昭さんが話題です。
今回はオープンハウス社長荒井正昭の経歴まとめ!アリーナを建てたって本当?を調査します。
オープンハウス社長荒井正昭の経歴まとめ!アリーナを建てたって本当?
結論から先にお伝えします。
荒井正昭さんは、群馬県太田市に[OTA ARENA]を地方再生応援税制で建設し、2023年春に完成しています!
株式会社オープンハウスグループ(本社 東京都千代⽥区、代表取締役社⻑ 荒井正昭、以下「当社」)は、この群⾺クレインサンダーズのオーナーをつとめており、また、このアリーナの建設・運⽤ス
引用:https://openhouse-group.co.jp/news/release/pdf/20221213_3.pdf
キームには、当社のグループ会社であるオープンハウス・ディベロップメントの太⽥市への企業版ふるさと
納税約40億円、ネーミングライツスポンサー料1,000万円が活⽤されており、⾃治体の負担を減らして最⾼
のアリーナを建設することが可能になりました。
本アリーナには、約5,000⼈収容のコンパクトな空間に、世界トップクラスの観戦環境が詰め込まれていま
す。⼈⼝減少の時代、地⽅創⽣が叫ばれる中、群⾺クレインサンダーズ・太⽥市・当社が、三位⼀体となっ
て地域課題の解決に努め、⽇本全国から注⽬を集めるようなアリーナ建設、運営を⽬指します。
では、荒井正昭さんの経歴をご紹介します。
1965年10月29日 群馬県太田市で誕生
15歳 群馬県立桐生南高等学校入学
23歳 不動産会社ユニハウス就職、10年間トップセールスを誇る
32歳 株式会社オープンハウス設立 代表取締役社長就任
35歳 創建ビルド有限会社(現在の株式会社オープンハウス・ディベロップメント)の取締役就任
42歳 株式会社アイビーネットの取締役に就任
43歳 リーマンショック
45歳 Open House Realty & Investments, Inc.のディレクターに就任
46歳 株式会社OHリアルエステート・マネジメントの取締役に就任
47歳 CM開始
48歳 東証一部上場
50歳 株式会社アサカワホーム(現在の株式会社オープンハウス・アーキテクト)の取締役に就任
51歳 Open House Texas Realty & Investments LLCのマネージャーに就任
53歳 株式会社ホーク・ワンの取締役に就任
54歳 群馬クレインサンダース会長就任 【OTAARENA】建設
57歳 東証プライム
58歳 太田アリーナ建設
素晴らしい経歴ですね。
では一つずつ見ていきましょう!
1965年 群馬県で誕生
荒井正昭さんは1965年10月29日生まれで56歳です。(2023年7月現在)
群馬県太田市出身で不動産業を営む裕福な家庭に育ちました。
中学時代の夢は両親のような自営業「司法書士になること。22歳で結婚し年収は5,000万円」という目標を立てたそうです。
とても具体的な数字ですね。中学生でここまで考えるとは、経営者としての素質が伺えます。
現に荒井正昭さんは、2021年生まれ育った太田市に5億円もの寄付をしているそうです。
自治体に寄付ができるほどの成功を収めた実業家ですね。
2021年といえばコロナが猛威をふるっていた時期、社会貢献もなさっていて素晴らしいです。
2021年11月、自身の出身地である太田市へ5億円の寄付を行っている。また、太田市の他にも県など複数の自治体にも5億円の寄付を行った。
引用:Wikipedia
15歳 高校入学
荒井正昭さんの出身高校は、
偏差値53
1963年に開設した桐生南高等学校は部活動のレベルも高く、野球部やバドミントン部は県内でも有数の強豪校としても知られていました。
荒井正昭さんは野球部に所属。
残念ながら2021年3月に閉校し、新設の統合校群馬県立桐生清桜高等学校が誕生したそうです。
慣れ親しんだ学校がなくなるのはちょっと寂しいですね。
18歳 東京に上京
高校卒業後予備校へ通うため東京へ上京します。
遊びやアルバイトで忙しく2浪。2年間大学へは行かなかったようです。
そして母親に帰郷を促され、司法書士の資格所得のため専門学校に入ることを決意、学費を稼ぐために就職をします。
初めての一人暮らしで、勉強より遊びが優先でしたけどね(笑)。2浪後に、今度こそは勉強をしようとしたら、母親が「帰郷しなさい」と(苦笑)。とはいえ、東京の暮らしが楽しすぎて、田舎には帰りたくない。そこで、アルバイト生活を経て、不動産会社の営業職に就きました。歩合制の会社だったので、ここで司法書士を目指せる専門学校の学費を稼ごうと思ったのです。
引用:https://recruit.openhouse-group.com/career_sales/message/
23歳 就職
23歳で不動産会社ユニハウスに就職、10年間勤務をしました。
入社3年目で営業成績1位を取ることが出来、その後は退社するまで約10年間、
ほとんどトップの営業成績を取り続けたそうです。
年収2,000万円のトップセールスマンをしていましたが、このままでは自分の成長はないと考え起業します。
入社3年目に人生で一番の一大決心をし、本気でトップになろうと決めます。見事、その年は営業成績1位を取ることが出来、その後、会社を退社するまでの約10年間、そこからサラリーマン生活はほとんどトップの営業成績を取り続けることができるようになったとのことです。
引用:https://jonetu-ceo.com/2021/12/31262/
32歳 起業
1997年32歳で株式会社オープンハウスを設立。代表取締役社長に就任します。
当時は物件の仲介事業で、『センチュリー21』の加盟店。わずか3年で加盟店売上全国1位を達成したそうです。
どうせやるなら不動産業界で日本一の企業になることを決意。
当時のオープンハウスは、不動産流通の世界的ネットワーク『センチュリー21』の加盟店でした。起業から5年で加盟店売上1位を目指していましたが、わずか3年で全国1位を達成した。次の目標はどうするかと考え、どうせやるなら不動産流通業で日本一に、いや不動産流通業だけでは面白くない。不動産業界で日本一の企業になろう、と目標が進化していきました。
引用:https://recruit.openhouse-group.com/career_sales/message/
経営理念は、
1.会社に一番最初に出社をして、一番最後まで働く
2.仕事が順調に行ったとしてもお酒を飲みに行かない、ゴルフに行かない
3.付き合う人を選ぶ
同じ不動産業を営む父親を見てこのような考えになったようです。
その後、物件の仲介事業から分譲事業へ方向転換をします。
『東京に、家を持とう。』のキャッチフレーズでお馴染みですね。
創業当時は、バブル崩壊後の金融不況という時代でしたが逆に不動産価格が下落。
底値になったことでバブル時代と一転して、都心でも家が買えるようになったことも、オープンハウス事業には追い風となりました。
時代が見方をしたようです。
オープンハウスは初月から黒字化を果たし、その後、一度も赤字になることはなく、順調な成長を続けていきます。
2000年9月 創建ビルド有限会社(現在の株式会社オープンハウス・ディベロップメント)の取締役就任
完全子会社化しました。
2007年8月 株式会社アイビーネットの取締役に就任
(イトーピアビジネスネット株式会社(現・株式会社アイビーネット)を伊藤忠商事株式会社から買収し子会社化)
43歳 リーマンショックは無傷
2008年にはリーマンショックが起こりますが、荒井正昭さんは先を見越して自社不動産を売り
負の棚卸資産を抱えること無く、無傷で乗り切ったそうです。
時代を読むことに長けている!先見の明がありますね。
自社で抱えていた不動産を損切りして売り切ります。その結果、リーマンショックがあった2008年9月には負の棚卸資産を抱えること無く、乗り切ることが出来たのです。
引用:https://jonetu-ceo.com/2021/12/31262/
リーマンショック後は不動産業は冷え込みましたが、荒井正昭さんは新たな戦略に出ます。
30代の若い層をターゲットとするプランを考え都心部の一等地を大量に購入。
不景気により住宅ローンが低下していることから物件は飛ぶように売れたそうです。
オープンハウスがターゲットとする30代の一次取得者に対し、不景気によってローンの支払いが月々14万円で家が買えるような状況が生まれ、住宅需要が発生するだろうと、仮説を立て、都心部の一等地をはじめとする不動産の大量購入に踏み切ったのです。
引用:https://jonetu-ceo.com/2021/12/31262/
それまでは1億円近くする物件が、比較的手頃な6,000万円台にまで値下がりをしたことで、物件は飛ぶように売れます。
戦略は大成功しオープンハウスの売り上げは、2008年9月期に200億円だったのが、2010年には500億円、2011年には700億円と3倍に成長したそうです。
ピンチをチャンスに変えたようですね!
2010年9月 Open House Realty & Investments, Inc.のディレクターに就任
(米国カリフォルニア州に株式会社オープンハウス・ディベロップメントの100%子会社として、Open House Realty & Investments, Inc.を設立)
本社を丸ビルに移転。
2011年10月 株式会社OHリアルエステート・マネジメントの取締役に就任
(株式会社オープンハウス・ディベロップメントの完全子会社として設立)
47歳 CMで知名度上がる
2012年株式会社センチュリー21・ジャパンのフランチャイズ契約を解約。自社ブランドの確立に踏み切ります。
テレビCMを開始し「好立地、ぞくぞく」のスローガンと人気俳優の起用により知名度は上がりました。
48歳 東証一部上場
2013年 創業から13年で東証一部上場へ 一流企業へと躍進しました
2015年1月 株式会社アサカワホーム(現在の株式会社オープンハウス・アーキテクト)の取締役に就任
( 株式会社アサカワホーム(現:オープンハウス・アーキテクト)を連結子会社化)
2016年9月 Open House Texas Realty & Investments LLCのマネージャーに就任
アメリカの不動産事業を開始。日本の不動産が将来頭打ちになることを見据えての事業展開だそうです。
2018年10月 株式会社ホーク・ワンの取締役に就任
(株式会社ホーク・ワンを完全子会社化)
2019年 創業22年で売り上げは5000億円。オープンハウスは売上1兆円を目指しているようです。
54歳 群馬クレインサンダース
群馬プロバスケットボールチーム 群馬クレインサンダースを完全子会社化して会長に就任、スポンサーになりました。
群馬クレインサンダースはその2年後にB1昇格となります。
2020年からは、新築マンション事業を開始し、都心の戸建てだけではなくマンションにも強い会社となりました。
2022年 株式会社オープンハウスグループに変更。
57歳 東証プライム
4月には東証一部から東証プライムへと移行しました!超一流企業!
58歳 太田アリーナ
2023年には荒井正昭さんはふるさと太田市に地方再生応援税制で「OTAARENA」を建設しました!
体育館を作るってすごい!しかもめちゃ人入っている!バスケットボールの観戦場として日本最高クラスの環境とのこと。
収容人数は5,000人でコンパクトを売りにしていますが、日本初の可動式センタービジョンは4面で総面積6,100インチ!
天井には50機のスピーカー、照明は84台もあり臨場感を演出するそう!
しかも客席とコートは限界距離の2メートル!!
試合の開催日は周辺の運動公園一帯でマルシェや音楽イベントなどが催されるそうです。
試合で使用しないときは一般利用も可能とな!
これは素晴らしい地方再生になるのではないでしょうか!
太田市周囲からプロバスケットボール選手が続々と輩出しそうですね!
太田アリーナについてはこちら⇒「OTAARENA」
これだけ会社をお持ちの荒井正昭さんの総資産はいかほどでしょう。気にになりますよね?
荒井正昭さんはフォーブス日本の富豪によると、
2019年:49位 資産1,030億円
2020年:37位 資産1,120億円
2021年:23位 資産2,530億円
2022年:24位 資産2460億円
2023年:24位 資産2810億円
と、順調に資産を増やしていますね!
おっ金持ち~♪
お読みいただきありがとうございました。
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