直木賞作家の伊集院静さんが、2023年11月4日に死去したことが報じられました。
今回は、伊集院静さんの奥様について調査します!
伊集院静wikiプロフィール
初めに、伊集院静さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:伊集院静(いじゅういん しずか)
- 本名:西山忠来(にしやま ただき)
- 作詞家名:伊達 歩(だて あゆみ)
- 生年月日:1950年2月9日
- 年齢:73歳
- 職業:作家、作詞家
- 学歴:立教大学文学部日本文学科
- 主な受賞歴:吉川英治文学新人賞(1991年)直木三十五賞(1992年)柴田錬三郎賞(1994年)吉川英治文学賞(2002年)司馬遼太郎賞(2014年)紫綬褒章(2016年)
伊集院静さんは山口県生まれの在日韓国人2世で、日本に帰化した際、西山 忠来に変更したそうです。
立教大学卒業後は、電通勤務を経てCMディレクターになりました。
1980年の松原みきからコンサートツアーの演出を始め、松任谷由実、松田聖子、薬師丸ひろ子、和田アキ子らのツアーのほかファッションショーも手がけたそうです。
そうそうたるメンバーですね!
1981年、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビューを果たします。
代表作は『機関車先生』『海峡』など。
作家以外にも、伊達歩(だて あゆみ)の名で作詞家としても活動。
『愚か者』が1987年に第29回日本レコード大賞を受賞。近藤真彦にはデビュー当時から多数の作詞を提供、他にも『ギンギラギンにさりげなく』などのシングル・ヒット曲が多数あります。
1992年7月15日、『受け月』で直木賞を受賞
2020年1月21日、くも膜下出血で救急搬送し一命をとりとめました。
2023年10月27日、肝内胆管がんとの診断を受け、治療と静養のため執筆活動を休止。
同年11月24日に死去したことが、夫人の篠ひろ子さんより公表されました。
【全員美人】伊集院静の結婚歴は3回!妻は夏目雅子と篠ひろ子娘は女優!
伊集院静さんの結婚歴についてですが、3回です。
- 1回目:電通時代に最初の結婚。二児(次女は女優の西山繭子)をもうけるが1980年に離婚
- 2回目:1984年8月27日夏目雅子と再婚も翌年死去
- 3回目:1992年女優の篠ひろ子と再々婚
では一人ずつ見ていきましょう!
伊集院静の初婚は一般の方・娘は女優!
伊集院静さんの最初の結婚は、
電通時代に知り合った一般の方のようです。
一般の方なので詳しい情報はありませんでした。
ですが、娘さんが女優になっているようです。
娘
お子さんは2人姉妹。次女は女優の西山繭子さんです。
西山繭子さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:西山繭子(にしやま まゆこ)
- 生年月日:1978年1月21日
- 年齢:45歳
- 出身地:東京都
- 職業:女優、作家
- 主な作品:『愛なんていらねえよ、夏』『瑠璃の島』
すごくきれいな方なので、母親もかなりの美人と思われます!
父親と同じ作家としても活躍されているようですね。
ですが、出生前に父親が家を出て、1980年2歳の時に両親が離婚。
本人いわく「父と一度も一緒に暮らした記憶がない」とのこと。
幼稚園のときに父親の存在を知り、初めて会ったのは私立中学に合格した13歳のときだったそうです。
芸能界に入れば父親に会えると考え、大学在学中の1997年にUHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、小説執筆など、さまざまな分野で活動中です。
伊集院静の再婚は夏目雅子
再婚は、1984年8月27日に女優の夏目雅子さんと。
夏目雅子さんの、wikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:夏目雅子(なつめ まさこ)
- 本名:西山雅子(にしやま まさこ)
- 生年月日:1957年12月17日
- 年齢:27歳(享年)
- 出身地:東京都
- 職業:女優
- 主な作品:ドラマ『西遊記』『虹子の冒険』『黄金の日日』『おんな太閤記』『徳川家康』
- 映画『トラック野郎・男一匹桃次郎』『鬼龍院花子の生涯』『時代屋の女房』『魚影の群れ』『瀬戸内少年野球団』
東京都渋谷区六本木の金物屋の娘として誕生。
店は東京オリンピックの道路拡張後にビルに建て替え、貸しビル業などで財を成したそうで、裕福な家庭で育ったようです。
小学3年生の時にドラマ「チャコちゃんハーイ!」を見て女優に憧れますが、母親の猛反対で撃沈。
ですが、17歳の時に映画「ひまわり」を見て、ソフィア・ローレンに憧れ本格的に女優の道を目指します。
大学入学後には、父親の伝手でタオルメーカーのCMに出演。
大学を中退し、同年にはドラマ『愛が見えますか…』で女優デビューを果たしました。
1977年にはカネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、一躍注目を集めます。
1978年には、ドラマ西遊記で美しい三蔵法師役がはまり役で話題になりました。
その後は、映画「トラック野郎」で6代目マドンナに抜擢され、大河ドラマなど多数出演。
1982年の映画「鬼龍院花子の生涯」での「なめたら、あかんぜよ」は流行語になり、ブルーリボン主演女優賞を受賞し自身の代表作となりました。
ところが、1985年の舞台『愚かな女』の公演期間中に、体調不良となり1986年2月に緊急入院。
急性骨髄性白血病と診断されましたが、自身には病名は伏せ「極度の貧血」と説明、女優復帰を望んでいたそうです。
半年後には回復傾向になりましたが、8月に肺炎を併発、9月11日に27歳という若さで逝去されました。
没後の2003年には、骨髄バンクドナー登録を呼びかけるCMに過去の映像を使用して出演。
骨髄バンクドナーという言葉が認知されました。
2003年度に公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンクドナー登録を呼びかけるCM「夏目雅子編」に過去の映像を使用して出演。CMではナレーションが「あの頃もし日本に、骨髄バンクがあり、あなたのドナー登録があったなら、きっと僕らは、46歳の夏目雅子さんに会えたに違いない」と述べた。
引用:Wikipedia
また、無料でかつらを貸し出す基金活動『夏目雅子ひまわり基金』が、母を代表として1993年に設立されました。
1回目、2回目の化学療法で、脱毛を恐れて副作用の弱い薬を選び、積極的な治療を行わなかったことが、死につながったとの母の後悔から、癌患者の闘病生活及び寛解後の社会復帰支援のため、彼女の遺産を基に癌患者へ無料でかつらを貸し出す基金活動『夏目雅子ひまわり基金』が、母を代表として1993年12月に設立された。現在は兄・小達一雄が理事長を務めている。
引用:Wikipedia
パンフレットには当時の美しい夏目雅子さんが微笑み、死後も社会貢献し続けています。
夏目雅子との馴れ初め
電通のCMディレクター時代に、カネボウ化粧品のCMキャンペーンガールだった夏目雅子さんと仕事を通して知り合いました。
ですが、当時伊集院静さんは既婚者。7年の不倫の末、1984年に結婚したそうです。
しかし、翌年に27歳で逝去されました。
伊集院静の再再婚は篠ひろ子
再再婚は1992年、女優の篠ひろ子さんです。
雅子さんの七回忌を待っての入籍だったようです。
篠ひろ子さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:篠ひろ子(しの ひろこ)
- 本名:西山博子(にしやま ひろこ)
- 生年月日:1948年3月8日
- 年齢:75歳
- 出身地:宮城県仙台市
- 職業:女優
- 主な作品:『時間ですよ』第3シリーズ『寺内貫太郎一家』『悪魔のようなあいつ』『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』『毎度おさわがせします』シリーズ『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』『妻たちの危険な関係』『金曜日には花を買って』『キツイ奴ら』シリーズ『誘惑』『男と女 ニューヨーク恋物語II』『木曜日の食卓』『カミさんの悪口』シリーズ
電機会社の専務である父親の、5人兄弟の長女として誕生。
兄はプロゴルファーの沼澤聖一さん、弟はゴルフクラブ設計家の沼澤雄二さん、甥は元プロサッカー選手で俳優の青山隼さんがいます。有名人一家ですね!
1968年、東北学院大学法学部2年の時にゴルフ練習場でスカウトされ、東北放送テレビ「ホリデイ・イン・仙台」のアシスタントとしてローカルデビュー。
20歳で上京し、同年「水色の風」で歌手デビューを果たしますが、全く売れない日々だったようです。
しかし、1973年のドラマ『時間ですよ』の小料理屋の女将・お涼さん役で、妖艶な魅力を発揮し女優として活躍していきます。
1975年のドラマ『悪魔のようなあいつ』では大胆なシーンにも挑戦し話題となりました。
1984年のドラマ『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』は「放送日の金曜日夜10時には、主婦が電話に出ない」とまでいわれるほどで、金妻シリーズとして大ヒットしました。
おしゃれな生活も憧れのようでしたね。
金曜日の妻たちへIII 恋におちては、「恋におちて -Fall in love-」が主題歌として採用されドラマとともに大ヒット
超豪華メンバーですね!
『金曜日には花を買って』挿入歌は、つのだ☆ひろのメリー・ジェーン!
バブル時代も相まって、豪華な家や家具などの生活も話題になりました。
篠ひろ子との馴れ初め
二人の馴れ初めについてですが、
「夏目雅子さんを偲ぶ会」で、女優の田中好子さんに紹介されて知り合ったそうです。
「夏目雅子さんを偲ぶ会」において、夏目さんの兄の妻である元キャンディーズの田中好子さんの紹介で知り合ったのがきっかけとされています。伊集院氏にとっては3度目の結婚。
引用:https://geeq.jp/103716
田中好子さんは元キャンディーズで、夏目雅子さんの兄の嫁だそうです。
結婚会見は別々に行い、篠ひろ子さんは44年間生きててよかったと語っていたそうです。
伊集院さんと篠さんは92年8月7日、別々に結婚会見を開いた。当時44歳だった篠は「44年間、生きてきてよかった」と幸せそうに語り、プロポーズは「『僕の生まれたところを見に来ませんか』でした」と明かした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9246a3fe9688d0c4288cdafa88f635be63d1906
伊集院静さんは、自身が問題を抱えた男だと自覚はあるようで、大人のお付き合いをされているようでした。
伊集院さんは「これだけ問題を抱えた男だから、大人の時期を重ねている人の方がいいだろう、彼女なりに受け止めようとしている」と話し、「つくづく俺も悪い男だなと思いますよ」とキザなセリフも嫌味には聞こえず、どこまでもダンディーだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9246a3fe9688d0c4288cdafa88f635be63d1906
ですが、結婚して25年たった頃には「犬と2人で正座をさせられ、きちんとして下さいとよく言われる」とのこと。
伊集院氏にとって篠さんは絶対的な存在のようで「私がとんでもないことをしようと監視しているだけ。きちんとして下さいとよく言われる。犬と2人で正座させられてね」と苦笑い。
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/04/0010064685.shtml
奥様の尻に敷かれているくらいの方が、合っているのかもしれませんね!
篠ひろ子さんは、1997年にドラマの主演を務めたのを最後に女優業を休止。
その後は、郷里の仙台市に夫婦で移住し穏やかな生活を送っていたようです。
波乱万丈の結婚歴でしたね。
お読みいただきありがとうございました。
伊集院静さんのご冥福をお祈りいたします。
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