演歌歌手の八代亜紀さんが、2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため、死去していたことが報じられました。
今回は、八代亜紀さんの経歴について調査します!
八代亜紀wikiプロフィール
初めに、八代亜紀さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:八代亜紀
- 本名:橋本 明代
- 生年月日:1950年8月29日
- 年齢:享年73歳
- 出身地:熊本県八代市
- 事務所:ミリオン企画
幼少期
父親が絵描き志望だったこともあり、幼少期から絵画教室に通っていた。父親の歌う浪曲を子守唄代わりに、歌好きの子供に成長。
小さい頃は歌より先に絵の勉強をしていたわね。絵の教室に通って、休みの日は母が作ってくれたお弁当を持って、父と一緒に写生に出かけて、そこで父がギターを弾いて歌ってくれたりしてね。だから物心ついた頃からずっと、「絵」と「歌」が私の中にはいつも一緒にあるんです。
http://salitote.jp/people/interview013-1.html
将来の夢は画家だったが、父親のジュリー・ロンドンのレコードを聴き、自身と同じようなハスキーボイスに魅せられ、12歳で歌手になることを決意。
15歳:バスガイド
中学校卒業後、歌手になる前提で地元熊本のバス会社九州産業交通(現:九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして勤務。ですが、人前で話すのが苦手で失敗ばかりだったそうです。
15歳:キャバレー勤務がバレて勘当
失敗続きのバスガイドに見かねた友達の勧めで、市内のキャバレー「キャバレー ニュー白馬」の歌のオーディションに年齢を誤魔化して参加。店の専属歌手として採用されました。
ですが、3日後に両親にバレて勘当。15歳で上京します。
このキャバレーで歌ったことは「歌手・八代亜紀の原点」と位置づけているそうです。
父の逆鱗に触れて、勘当されて東京に出たんだけど、つねにわたしのことは心配してくれてたみたいで。東京には親戚がいて、そこに下宿させてもらって音楽学院に通うようになったんだけど、東京での生活の足場は母親がちゃんと付けてくれました。
http://salitote.jp/people/interview013-1.html
15歳:上京
上京後は音楽学院に通い、銀座のクラブ歌手になりました。
通っていた音楽学院でレコード会社からスカウトされ、レコードデビューを果たします。
ホステスたちからの「レコードを出した方がいい」という言葉にも背中を押されたそうです。
通っていた音楽学院にレコード会社のスカウトが来て、それであっという間にレコードデビューが決まったの。
http://salitote.jp/people/interview013-1.html
八代亜紀の経歴・ジャケット写真が超絶美人!時系列で調査
- 1971年:「愛は死んでも」でデビュー。オーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場し10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなり、レコードが売れ始める
- 1973年:「なみだ恋」が120万枚とヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発
- 1979年:「舟唄」が大ヒット
- 1980年:「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞「演歌の女王」と称されるようになる
- 1982年:センチュリーレコードへ移籍。「海猫」「日本海」「恋瀬川」などを発表
- 1986年:日本コロムビアへ移籍
- 1987年:個人事務所設立
- 1990年:「花(ブーケ)束」を発表
ジャケット写真が、どれも美しく素敵なものばかりです。ひとつずつ見ていきましょう!
21歳:「愛は死んでも」
デビュー曲はヒットしませんでしたが、地方のキャバレー周りをほぼ毎日繰り返して売り歩いたそうです。
デビュー当時は21歳、めちゃめちゃかわいいですよね♥
23歳:「なみだ恋」
お人形さんのようですね。
24歳:「しのび恋」
誰かに似てる、誰だろう?
24歳:「愛ひとすじ」
髪型が時代を感じさせますが、お美しいので現代でもいけそうです。
25歳:「おんなの夢」
正統派美人!
25歳:「ともしび」
25歳?
26歳:「花水仙」
ハーフのようにも見えますね。
26歳:「もう一度逢いたい」
少女漫画に出てきそうな。。。
27歳:「おんな港町」
笑顔がいいですね!
27歳:「恋歌」
1973年に「なみだ恋」が大ヒットした後、トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになり、これがきっかけで1977年の東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手「紅弁天」役で出演。「恋歌」が挿入歌として起用され配給収入も10億9000万円を記録し大ヒットとなりました。
美しい!これぞマドンナです♪
小悪魔的な感じでしょうか。
44年前の同じトラックと八代亜紀さん✨
1977(昭和52)年映画トラック野郎 #度胸一番星 ロケ時の #八代観音 と当時の山口県のオーナーS様。#龍虎会 #亜紀観音
『八代亜紀、活動50周年イベントで語った“トラック野郎”との思い出 「俺たちのマドンナだと言ってくれます」』https://t.co/9Nb1kyOu2T pic.twitter.com/Ghkqa2EEIX
— ニセいなぱ☆ Nise-Inapa (@Nise_Inapa_178) September 26, 2021
27歳:「愛の終着駅」
大人っぽくなりました。
29歳:「舟唄」
色っぽい♡
名曲ですね~♪
30歳:「雨の慕情」
色っぽくて困る。
八代亜紀さんが、歌手デビューした当時は演歌というジャンルがなかったそうです。
ですが、1980年以降に演歌の女王と呼ばれるようになり、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップを誇る大スターになりました。
40歳:「花 (ブーケ) 束」
ポップス調バラードで、ロングセラーとなりました。
歌手活動以外では、画家としても活躍。子供の頃から長年水彩画を描いていましたが、40歳頃に油絵の質感に惚れ込んで人に師事。フランスの「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員)になるなど活躍しました。
また、1981年より女子刑務所の慰問公演を続けていて、老人ホームや福祉施設、女子刑務所へも行くようになったそうです。2000年には日本全国すべての女子刑務所を訪問しています。
素晴らしいですね。
近年では、年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーを行い、演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げた公演を続けていました。
2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、年内の活動を休止することを発表。
療養を続けていましたが、同年12月30日東京都内の病院で死去されました。
お読みいただきありがとうございました。
八代亜紀さんのご冥福をお祈りいたします。
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