【家系図】唐十郎の家族構成|息子は2人で娘と元嫁・全員俳優!

紅(あか)テント創設者の唐十郎さんが、2024年5月4日に急性硬膜下出血で亡くなったことが報じられました。享年84歳でした。

唐十郎さんは、劇作家、演出家、俳優という多才な方で、御家族も全員俳優として活躍されている華やかな家系のようです。

今回は、唐十郎さんの家族構成・家系図を調査します!

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目次

唐十郎wikiプロフィール

初めに、唐十郎さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:唐十郎(から じゅうろう)
  • 本名:大靏 義英(おおつる よしひで)
  • 生年月日:1940年2月11日
  • 年齢:享年84歳
  • 出身地:東京都台東区
  • 学歴:明治大学文学部演劇学科
  • 職業:劇団「唐組」主宰、劇作家・作家・演出家・俳優、明治大学客員教授
  • 所属劇団 :状況劇場(1963年 – 1988年)、唐組(1988年 – )

父親は理研映画で監督・プロデューサーを務めた、大鶴日出栄さんの息子として誕生。

厳格な父親の元、将来医者を目指すように言われて東邦大学付属東邦高校へ進学。

ですが、明治大学文学部演劇学科へ進学し演劇の道へと進みました。

1962年劇団青年芸術劇場(青芸)に研究生として入団。

1963年青年芸術劇場を退団後、シチュエーションの会を旗揚げ。

1964年 シチュエーションの会を状況劇場に改名し、1967年から、紅テントによる公演を始めました。

経歴は、

  • 1970年:『少女仮面』で岸田國士戯曲賞受賞。
  • 1974年:初監督映画『仁侠外伝・玄界灘』撮影中に本物の拳銃を使い、安藤昇とともに小田原署に逮捕。
  • 1978年:『海星・河童(ひとで・かっぱ)』で泉鏡花文学賞受賞
  • 1983年:『佐川君からの手紙』で芥川賞受賞
  • 1988年:状況劇場を解散し、「劇団唐組」を旗揚げ
  • 1997年: 横浜国立大学教授就任
  • 2001年 :花園賞を受賞
  • 2003年:『泥人魚』で第7回鶴屋南北戯曲賞受賞
  • 2004年:『泥人魚』で読売文学賞受賞
  • 2005年:近畿大学客員教授就任
  • 2006年:読売演劇大賞芸術栄誉賞を受賞、明治大学特別功労賞を受賞
  • 2010年 :第3回李炳注(イ・ビョンジュ)国際文学賞(韓国の文学賞)を日本人として初めて受賞
  • 2012年:明治大学客員教授に就任
  • 2013年: 朝日賞受賞[18]
  • 2021年:文化勲章功労者

アングラ演劇の旗手と呼ばれ、多くの演劇人が影響を受けています。数々の受賞歴もあり、素晴らしい経歴ですね。

2012年には自宅で転倒し、脳挫傷と外傷性脳内血腫で半年間入院。その後は舞台出演もなく公の場に姿を見せることも少なくなっていました。

2024年5月1日、自宅で転倒し救急搬送されましたが、急性硬膜下血腫のため5日に都内病院で逝去されました。

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【家系図】唐十郎の家族構成|息子は2人で娘と嫁も全員俳優!

唐十郎さんは結婚歴が2回あり、子供は3人です。

最初の嫁

唐十郎さんが最初に結婚した嫁についてですが、

女優の李 麗仙(り れいせん)さん

1967年、李 麗仙さんが25歳、唐十郎さんが27歳の時に結婚しました。

李 麗仙さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:李 麗仙(り れいせん)
  • 韓国名:イ・ヨソン、朝鮮語: 이여선
  • 日本名:星山初子(ほしやま はつこ)
  • 生年月日:1942年3月25日
  • 年齢:享年79歳
  • 出身地:東京府
  • 学歴:東京都立広尾高等学校、舞台芸術学院中退

在日韓国人2世の両親の娘として誕生。

東京都立広尾高等学校卒業後、舞台芸術学院在学中に唐十郎さんと知り合いました。

1963年に舞台芸術学院を中退、唐十郎さんが設立した「状況劇場」に参加し、星山初子の名でデビューします。

数年後に、李礼仙(朝: 이예선 イ・イェソン)と名乗り、同劇団の看板女優として、唐十郎さんの作・演出の二人三脚で「状況劇場」で活動します。

土方巽さんの斡旋で、唐十郎さんと共に金粉ショウダンサーとして全国のキャバレーを回ったこともありました。

1967年の結婚の翌年には、長男・大鶴義丹さんが誕生。

1975年に日本国籍を取得し李初子から大靏初子となり、1987年には芸名を李麗仙に改名。

1988年に、お二人は離婚しています。

舞台を中心に活躍していましたが、1995年には『3年B組金八先生 第4シリーズ』 に教頭先生役でレギュラー出演するなど活躍の場を広げていきました。

2019年に脳梗塞を患い療養していましたが、2021年6月22日肺炎のため東京都杉並区の病院で死去されました。

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長男

唐十郎さんと李 麗仙さんの子供についてですが、

長男は俳優の大鶴義丹さん

結婚の翌年に誕生しました。

67年11月には状況劇場の看板女優だった李麗仙さん(21年死去、享年79)と結婚。長男の俳優・大鶴義丹が誕生した

https://hochi.news/articles/20240505-OHT1T51010.html?page=1

大鶴義丹さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:大鶴 義丹 (おおつる ぎたん )
  • 生年月日:1968年(昭和43年)4月24日
  • 年齢:56歳
  • 出身地:東京都杉並区
  • 学歴:日本大学芸術学部文芸学科中退
  • 職業:俳優、小説家、映画監督、タレント
  • 趣味:オートバイ
  • 事務所:ケイダッシュ

高校時代より、NHKのテレビドラマなどに出演。大学在学時代に映画『首都高速トライアル』で本格デビュー。

大学在籍中の1990年に『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞。

1995年、『となりのボブ・マーリィ』にて映画監督デビューを果たしました。

テレビドラマや舞台を中心に俳優活動を続ける傍ら、オートバイ雑誌ライダースクラブなどでも15年にわたり連載を持ち、レーシングチームをプロデュースするなどの経歴もあります。

現在もオートバイでサーキット走行をし、自身のYouTube動画では80年代のバイクをレストアしている様子などを公開しています。

私生活では、1994年に歌手のマルシアさんと結婚し、長女が誕生していますが、2004年に離婚。

2012年には、高校時代からの友人である一般女性と再婚しています。

俳優の大鶴義丹さん(44)が、高校時代からの友人で43歳の一般女性と再婚したことを、2012年11月29日に所属事務所が発表した。

https://www.j-cast.com/2012/11/30156148.html

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再婚した嫁

唐十郎さんの再婚した嫁についてですが、

フリーのメーキャップアーティスト、萩原美和子さん

1989年、「劇団唐組」を旗揚げした翌年に再婚されています。唐十郎さんが49歳の時ですね。

89年にフリーのメーキャップアーティスト、萩原美和子さんと再婚。

https://hochi.news/articles/20240505-OHT1T51010.html?page=1

お二人の間には、お子さん2人が誕生しました。

長女

唐十郎さんの長女についてですが、

長女・大鶴美仁音(みにおん)さん

唐十郎さんが51歳の時に誕生しているので、1991年生まれで現在(2024年5月)は32歳と思われます。

51歳にして長女・美仁音(みにおん)を授かった。93年に生まれた次男・大鶴佐助も俳優として活動している。

https://hochi.news/articles/20240505-OHT1T51010.html?page=1

美仁音(みにおん)は、映画「怪盗グルー」シリーズに登場する、黄色いキャラクターミニオンと同じ名前ですね!かわいい♡

美仁音(みにおん)の名前の由来は、「ドイツの詩人、ゲーテの詩に登場する少女ミニヨンに当て字をして美仁音となった」そうです。

素敵ですね♪

美仁音さんは3歳から唐組の公演を見て育ち、中学1年で唐脚本の映画「ガラスの使徒(つかい)」に出演。高校2年で唐組公演に出演したのをきっかけに女優を志しました。

美仁音さんは日大芸術学部演劇学科3年の20歳の時に、唐十郎さんの代表作「少女仮面」の劇団俳小公演・ヒロイン役として出演しています。

劇作家で俳優の唐十郎(72)の長女大鶴美仁音(みにおん=20)が劇団俳小公演「少女仮面」(8月1~5日、東京・池袋シアターグリーン)にヒロイン役で出演することが25日、分かった

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120626-973169.html

父親の作品が大好きで、「『少女仮面』を含めた4作品のヒロインをやることが夢だった」と語っています。

「父の作品は大好きで、『少女仮面』を含めた4作品のヒロインをやることが夢だった。夢がかなってうれしいし、やってやろうという気持ちです」。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120626-973169.html

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次男

唐十郎さんの次男についてですが、

俳優の大鶴佐助さん

大鶴佐助さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:大鶴佐助(おおつる さすけ)
  • 生年月日:1993年11月14日
  • 年齢:30歳
  • 出身地:東京都
  • 学歴:日本大学芸術学部演劇学科
  • 職業:俳優、劇団ヒトハダ座長
  • 身長:174㎝
  • 特技:金管楽器の一つユーフォニアム
  • 趣味:ブラジルの腿法カポエイラ、ダイビング
  • 事務所:nora

2005年、12歳の時に映画『ガラスの使徒』でデビューしましたが、俳優を目指したのは高校2年生のときだったそうです。

幼少期から見ていた舞台や映画の世界に入りたいと思い、父親に相談し『自分にしかできない生き方をしなさい』と言われ、日本大学芸術学部へ進学しました。

12歳で父の映画に出演したが、俳優を志したのは高校2年だった。「進路を決める時、小さいころから見ていた舞台、映画の世界に入りたいと思いました。父に相談したら、賛成してくれて『自分にしかできない生き方をしなさい』と言われました」。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130322-1100813.html

兄弟3人とも「日芸」とはすごいことですよね!育った環境もありますが、感性が違うのでしょうね~♪

そんな大鶴佐助さんは、小学生のころから劇作家としての教育も受けていたようで、『沖縄で見た魚たちを主人公にした話を書け』と言われ、強制的に書かされていたと語っています。

「小学生のころ、父から『沖縄で見た魚たちを主人公にした話を書け』と言われ、原稿用紙で14~15枚書いたことがあります。小学生の時は強制的に書かされていました。今、短編戯曲が2つ完成しています」

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130322-1100813.html

劇作家の英才教育ですね。

2007年にはNHKドキュメンタリー「わたしが子供だったころ」で唐十郎さんの幼少時代を演じています。

将来は「父と同じく、劇団を持ってテント公演をしたい」と語っていました。

将来は父と同じく、劇団を持ってテント公演をしたいという。「父の作品をやっていきたい。テント公演は内と外と違う世界を隔てているのはビニールシート1枚というところにワクワクします。役者として父は好きだけど、父にはなれない。演出もしたいし、自分にしかできないことをやっていきたいです」

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130322-1100813.html

そして2022年には実際に、「劇団ヒトハダ」の座長として活躍されています。

唐十郎さんの血が受け継がれていきますね。

お読みいただきありがとうございました。

唐十郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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