レメキさんがNECの主将に就任し前シーズンは全試合出場!
2023年9月のラグビーワールドカップ・フランス大会の日本代表にも選ばれて話題になっています!
今回は、【時系列まとめ】レメキの移籍先はNEC!ラグビー経歴と学歴も調査!を紹介します。
レメキのプロフィール
最初にレメキさんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:レメキロマノラヴァ
- 生年月日:1989年1月20日
- 年齢:34歳(2023年8月現在)
- 出身地:ニュージーランド・オークランド
- 身長:177㎝
- 体重:92㎏
- 所属:NECグリーンロケッツ東葛
レメキさんは、ニュージーランド・オークランド生まれの34歳です。
高校生で家族とともにオーストラリアのブリスベンに移住し、
タイルを運ぶ仕事をしながらレッズのアカデミーで研鑽を積んだそうです。
20歳の時にキヤノンから声がかかり来日をしました。
ラグビーは4つ上の兄がラグビーをやっていたので、4歳頃から始めたそうです。
16歳で家族とオーストラリアに移住した後は、タイル運びなどの仕事をこなしながらクラブで鍛錬する毎日。フルタイムでラグビーに専念できる環境を求めていた。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50377520Q9A930C1CR0000/
両親の出身国はトンガなので、レメキさんも大きな体格を想像しますが、
177㎝92㎏とラグビー選手としては小柄な体格です。
しかしながら、2016年のリオデジャネイロオリンピックで、7人制の日本代表に選ばれ、
スピードや鋭いステップ、力強さを兼ね備えたスキルで、
強豪ニュージーランドから勝利したベスト4進出の原動力になったすんごい選手です!
大会では優秀選手賞「ドリームセブン」にも選出されました。
素晴らしい功績ですね!
そんなレメキさんの学生時代が気になります。
レメキの学歴
レメキさんの学歴についてですが、
高校は?
レメキさんの出身高校は、
オーストラリアのランコーン・ステート・ハイスクール
ランコーン・ステート・ハイスクールは、ブリスベンの中心地より南へ車で約20分の
閑静な住宅街Runcorn地区に位置しています。
オーストラリアの教育は、日本は6:3:3の12年制ですが、オーストラリアは6:4:2の12年制という点が違います。
オーストラリアの高校は、毎年1月・4月・7月・10月に始まる4学期制。
各学期間に2週間の休みがあり、クリスマス前から1ヶ月程度の夏休みになることは日本と大きく異なります。
オーストラリアの高校では偏差値の概念がありません。偏差値の代わりとしてATAR(Australian Tertiary Admission Rank)があります。
学生時代のエピソードは公表されていないようです。
レメキさんの父親はレメキさんが17歳の時に逝去されています。
ラグビーから遠ざかった時期もあったようですが、
亡き父の「ラグビーをやり続けろ」という遺言もあり、続けたそうです。
レメキ選手が17歳の時に父が亡くなった。失意の中ラグビーと距離を置くことになった。そんなレメキ選手をラグビーに引き戻したのは父が最後に残した「ラグビーをやり続けろ」というPOWERフレーズ
引用:https://datazoo.jp/tv/POWER%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA/1168458
父親はプロボクサーで、レメキさんもリングに上がったことがあるそうです。
あのハンドオフはボクシング経験者だからなのね!
辞めた理由は「体にダメージが残るからラグビーにしろ」!と父親から言われたから。
レメキさんの華麗なステップや瞬発力は父親からの遺伝ですね!
瞬発力は親譲り。トンガ出身でプロボクサーとして活躍した父を持つ。自身も故郷のニュージーランドでリングに上がった。公式戦6戦全勝としたところで父からストップがかかった。「体にダメージが残るからラグビーにしろ」と。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45307580X20C19A5935M00/
このちらはリポビタンDチャレンジカップ2021、日本代表―オーストラリア代表テストマッチです。
オーストラリアからトライを決めたときの写真!
まさか、自分の育ったオーストラリアと戦いしかもトライできるとは、
ハイスクール時代のレメキさんには想像もつかないことだったでしょうね!
いや~素晴らしいですね。泣けます。
そんなレメキさんですが、2022年からNECで主将を務めています。
現在に至るまでは、来日後移籍を数回しています。
様々な移籍先を時系列でまとめました。
一つずつ見ていきましょう!
【時系列まとめ】レメキの移籍先はNEC!ラグビー経歴
レメキロマノラヴァさんの経歴は、キャノン⇒マツダ⇒ホンダ⇒宗像サニックス⇒NECです。
一つずつ見ていきましょう!
20歳:キャノン
19歳の時に来日し20歳でキャノンに加入。
最初は1年契約だったんですね。来日当時は日本語はまったく話せなかったようです。
少年時代からの夢であるプロラグビー選手になることがかなうと聞いて来日した。まず1年契約だったから、将来の人生設計なんてなかった。まず、行ってみようと
引用:https://www.asahi.com/articles/ASMDY23STMDYULZU001.html
9月12日に行われたトップイーストリーグ第1節。
日本IBMビッグブルー戦に先発出場したのが公式戦の初出場でした。
22歳:マツダ
2011年、22歳でマツダブルーズーマーズに加入
翌年の2012年23歳で恵梨香さんと結婚。その後日本語はメキメキ上手になりました。
25歳:ホンダ
2014年Honda Heatに加入。
日本国籍を取得し、同年に行われたアジア大会の7人制日本代表として金メダル獲得に貢献。
26歳:7人制ラグビー初出場
2016年にリオデジャネイロオリンピックの7人制ラグビーの日本代表に選ばれ、
4位入賞で、ニュージーランドには14-12で下す大金星を挙げています!
26歳:日本代表初キャップ
2016年11月5日に行われたリポビタンDチャレンジカップ「2016アルゼンチン戦」にて先発出し、
日本代表初キャップを獲得しました。
27歳:サンウルブズ
レメキさんは2017年12月、サンウルブズの2018年スコッドに選ばれました。
サンウルブズは、「スーパーラグビー」に、2016年から2020年まで参加していた日本のチームです。
ワールドカップ2019日本大会へ向けた、選手のレベルアップを目標として編成されました。
スーパーラグビーは南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチンという、
南半球のラグビー強豪国から当時15チームが参加した国際大会。
日本チームも加入したことで、選手・チームのレベルが格段に上がり、
実際にワールドカップ日本大会では、ベスト8の偉業を成し遂げました。
29歳:ラグビーワールドカップ日本代表2019に選出
2019年8月、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出。
サモア代表戦ではPOM(プレイヤー・オブ・ザ・マッチ)に輝く活躍!
ジャパンラグビー では、トップリーグ2018-2019の最多8トライを記録、トライゲッター賞を受賞しています!
30歳:宗像サニックスブルース
2020年、30歳で宗像サニックスブルースに加入。
移籍理由は「新しい環境でチャレンジして成長したいから!」
素晴らしい!前向きですね!
しかし試合でケガをしてしまい、2試合の出場に。
宗像のみなさん、レメキロマノラヴァです。自分のキャリアを考えたときに、新しい環境でチャレンジして成長したいと思いました。そんなときに声を掛けてくれたサニックスが、自分を求めてくれたので挑戦をしようと思いました。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!
引用:https://newspo.co.jp/2020/06/05/lemeki-sanix/
31歳:NEC
2021年31歳で、NECグリーンロケッツ東葛に加入。副将を任されリーダーシップも発揮しました。
2021年は「ラグビートップリーグ」から「リーグワン」と名称・制度の変更があり、
リーグワン初年度はSO、CTB、FBと様々なポジションをこなし、
入れ替え戦も含め12試合に出場してチームを牽引する活躍!
2022年32歳には主将に就任しました。
来日から6年で日本国籍を所得し、13年でついに主将!
素晴らしい功績ですね。
また、2023年9月からのワールドカップフランス大会では日本代表に選出されました。
様々なポジションで活躍できるスキルも、選ばれた理由のひとつのようです!
今までの経験が活かされていますね!
ワールドカップ期待しています!!!
レメキさんの今後のご活躍をお祈りいたします。
お読みいただきありがとうございました。
コメント