2023年秋の岸田内閣改造人事で、加藤鮎子議員が入閣すると話題です!
加藤鮎子さんは、現在結婚されてお子さんもいるママ議員さんですが、
実は再婚で、元夫は元衆議院議員の宮崎謙介さんだったことがわかりました!
今回は、加藤鮎子の元夫は宮崎謙介!離婚理由は夫の不倫で金子恵美はお友達!を調査します。
加藤鮎子のプロフィール
初めに加藤鮎子さんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:加藤鮎子
- 生年月日:1979年4月19日
- 年齢:44歳(2023年9月現在)
- 出身地:山形県鶴岡市
- 所属政党:自由民主党(谷垣グループ)
加藤鮎子さんは山形県生まれの44歳です。
慶應義塾女子高等学校卒業後は、慶應義塾大学法学部入学。在学中に政治活動を始めたようです。
卒業後はドリームインキュベータ勤務を経て、野田聖子衆議院議員の秘書を務めました。
2005年の郵政解散後には、アメリカ・コロンビア大学国際公共政策大学院に留学し国際公共政策を学んだそうです。
帰国後は父親の加藤紘一衆議院議員の秘書を務めました。
2012年父親の加藤紘一衆議院議員が落選、加藤鮎子さんが後継に指名されました。
2014年第47回衆議院議員総選挙に自民党候補として出馬、初当選し谷垣禎一の有隣会に加入。
2017年第48回衆議院議員総選挙で再選。
2019年9月11日、環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任。
2021年10月、第1次岸田内閣の国土交通大臣政務官に就任。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で3選を果たしました。
加藤鮎子の元夫は宮崎謙介!離婚理由は夫の不倫で金子恵美はお友達!
加藤鮎子さんは、2006年に宮崎謙介さんと結婚しますが2009年に離婚をしました。
2人の離婚理由は?
結婚当初加藤鮎子さんはアメリカ・コロンビア大学へ留学し、宮崎謙介さんは加藤紘一議員の後継狙いなどとささやかれていたそうですが、ITベンチャーのドリコムに在籍中多忙を極め、お互いすれ違いの日々だったようです。
離婚理由は、宮崎謙介さんの女遊びと報じています。
「宮崎氏が紘一氏の後継になることを狙って鮎子氏と結婚したと報じられましたが、当時から女遊びがひどく、結局、3年で離婚になったのです」(自民党関係者)
引用:https://jisin.jp/domestic/1621418/
女遊びは昔から変わらないようですね。
宮崎謙介と金子恵美が再婚!
離婚後、宮崎謙介さんは就職支援事業の株式会社ネオトラディションを創業しますが、
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で、自民党から立候補し初当選を果たし、
2015年に衆議院議員・金子恵美さんと再婚しています。
加藤鮎子と金子恵美はお友達
実は元夫宮崎謙介さんの再婚相手の金子恵美さんは、友達と言われていて、しかも月一で女子会を開くほどの仲だと報じています。
「金子議員は、同じ自民党所属で同年代の加藤鮎子衆院議員(36)、大沼瑞穂参院議員(37)とよく女子会を開いているんです。党の女性局の会合の後なんかに、月に1回は3人で会っているようですね」(国会議員の1人)
引用:https://jisin.jp/domestic/1621418/
加藤鮎子さんは、趣味を通じて知り合った賢明さんと2011年に再婚し二人のお子さんがいます。
妻とは趣味を通じて知り合いました。結婚前に2人でテレビのニュースを見ていたら(元自民党幹事長の故)加藤紘一氏が映り、「これ、お父さん」と言われて驚きました。
引用:https://www.asahi.com/articles/ASQ4M624QQ4LULZU00Q.html
子育てママは多忙です。過去を思い出すことがないほど忙しく動きまわっています。
ましてや、議員の仕事は考えも及ばないほど、大変な仕事であると推測します。
なので、元嫁と今嫁が一緒に女子会を開くのも、あたりまえのようにも思えます。まさに母は強しですね。
ですので、3人での子育てトークは最高に盛り上がるのかもしれませんね!
めちゃ夫の悪口言ってそうですね~♪
だがその“前妻”加藤議員と、現在の妻である金子議員が友人だったとは!この3人での女子会のほかにも、政界には野田聖子(55)元総務会長が主催する女子会もある。3人はそこにも参加しており、赤坂などの美味しいお店に集まっては恋愛から子育てまでざっくばらんに語り合っているという。
引用:https://jisin.jp/domestic/1621418/
加藤鮎子は再婚!夫は超エリート!
加藤鮎子さんの夫賢明さんは、慶応大学卒でオーストラリア・ボンド大学でMBAを取得、就職先は三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社に在籍していた超エリートです。
このようなエリートの旦那様ですが、2012年の加藤鮎子さんの選挙に伴い退職。山形に移住してくれたそうです。
妻から「会社をやめてこちらに住んで助けてほしい」と頼まれました。私は外資系投資銀行に勤め、仕事は充実して脂がのっていました。ただ、紘一氏が介護が必要になり、選挙区事情も厳しく、乳児を抱えた妻が切迫しているのはわかっていました。真剣なまなざしで必死に頼み込まれて。ものすごく悩みましたが、退職を決めて妻の地元に移りました。
引用:https://www.asahi.com/articles/ASQ4M624QQ4LULZU00Q.html
お読みいただきありがとうございました。
今後のご活躍に期待しています。
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