東山紀之の子供の頃は母子家庭で超貧乏!プールで体を洗ってた生い立ちがヤバい

東山紀之の子供の頃は母子家庭で超貧乏!プールで体を洗ってた!?

ジャニーズ事務所新社長に就任した東山紀之さんが話題です。

東山紀之さんはの子供時代ですが、実は大変な子供時代を過ごしたそうなんです!

今回は、東山紀之の子供の頃は母子家庭で超貧乏!プールで体を洗ってた生い立ちがヤバいを調査します!

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目次

東山紀之のプロフィール

初めに、東山紀之さんのプロフィールをご紹介します。

  • 名前:東山紀之
  • 生年月日:1966年9月30日
  • 年齢:56歳(2023年9月7日現在)
  • 出身地:神奈川県川崎市
  • 血液型:A型

東山紀之さんは神奈川県川崎市出身の56歳です。

小学6年生の時に渋谷の交差点でジャニー喜多川からスカウトされ、1979年13歳でジャニーズ事務所に入所。

明治大学付属中野高校定時制へ入学。同時に原宿の合宿所で生活を始めました。

当時の合宿所は原宿にあり、川崎麻世、田原俊彦、近藤真彦、錦織一清、植草克秀ら10人ほどが暮らしていたそうです。

東山紀之さんはレッスン生として歌やダンスの稽古を受けながら、先輩タレントのバックダンサーを務めました。

1982年16歳で少年隊のメンバーとなり、1985年19歳で少年隊として「仮面舞踏会」でレコードデビューを果たします。

ジャニーズ入所からデビューまでは6年かかりましたが、レコード大賞最優秀新人賞を獲得するなど、

華々しいスタートで、超人気アイドルとなりました。

その後はミュージカル、ドラマ、映画、ニュースキャスターなどを務め、

2023年9月、ジャニーズ事務所の新社長に就任しました。

そんな東山紀之さんは、子供時代に大変ご苦労なさったと聞きます。

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東山紀之の子供の頃は母子家庭で超貧乏!プールで体を洗ってた生い立ちがヤバい

東山紀之さんの子供の頃について、一つずつ見ていきましょう!

幼少期

東山紀之さんは川崎市で誕生。祖父はロシア人の血を引いている人で祖父母の家で暮らしていたそうです。

祖父も父親も大酒飲みで借金もある家庭だったようです。

東山紀之さんのスタイルがいいのは、ロシア人クオーターだったからなんですね!

僕の一家は、川崎駅近く、ソープランドが密集する界隈の、父方の祖父母の家で暮らしていた。祖父はロシア人の血を引いていた。祖父も父親も大酒飲みで、ギャンブルにのめり込み、借金もあったという。

出典:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_665/

その祖父が酔って暴れたときに、東山紀之さんは足に大やけどをしたそうです。

50年以上経過した今でも、筋力を鍛えていないと痛みが出るので、絶えず筋トレをしているようです。

僕の祖父はロシア人の血を引いていたからか、大酒飲みでした。理容師の母が仕事に出ている昼間に酔っぱらって暴れ、ポットをひっくり返して、熱湯が僕の足にかかったんです。祖父が熱湯をひっくり返したとき、僕は足を大やけどしたんです。それで体のバランスがあまりよくなくて、たえず筋力を鍛えていないと、痛みが出るんです

引用:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1606992/

そして、東山紀之さんが3歳の時に妹が誕生しますが、まもなく両親が離婚。

母親と妹と3人で、川崎市内のコリアンタウンに引っ越します。

僕たちの住む地域には在日韓国・朝鮮人の人々が多く暮らしていた。うちのアパートもそんなコリアン・タウンの一角にあった。

引用:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_665/

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小学生

母親は理容室に務めていました。朝から晩まで働きづめで、ご飯と味噌汁を作るのは子供たちの仕事だったそうです。

しつけは厳しくビンタは当たり前でいつも靴ベラで叩かれたといいます。

遊ぶお金はないので銭湯代でゲーセンに行き、学校のプールで体を洗っていたそうです。

貧しいながらも、楽しみをみつけたり涙ぐましいです。

遊ぶお金もなく、もらった銭湯代でスペースインベーダーをやり、学校のプールに忍び込んで体を洗っていた。

引用:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1610250111/

しかし、風呂なしアパートで貧しい暮らしでしたが、周りの家も同じような境遇であったため、

それが当たり前と感じていたそうです。

その頃は、東山紀之さんと妹はいつもおなかをすかせていており、

近所の焼き肉屋を営む母子の家で毎日、豚足をごちそうになっていたそうです。

その方がいなかったら今頃どうなっていたかと思うほど、貧しい生活だったようです。

僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。僕たちはそれにかぶりついた。貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」

引用:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_665/

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母親の再婚

しばらくして母親は再婚しますが、その父親は暴力を振るう人だったそうで、すぐに離婚。

東山の生活はあいかわらず過酷で、母の再婚後は再婚相手のDVにもさらされていたという。貧しくつらいだけの少年時代。

引用:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_665/

そして、東山紀之さんは12歳でジャニー喜多川氏にスカウトされます。その直後に家に来たそうです。

家の手伝いをしてる姿にいいイメージを持ってくれたようで、最初に褒められたのが

『YOU、魚の食べ方うまいね』という言葉だったそうです。

母親に厳しく育てられた東山紀之さんですが、その時に母親の愛情を感じたでしょうね。

祖父・父親・義理父から虐げられた東山紀之さんは、その時初めて父親のような優しさに触れたのかもしれませんね。

東山紀之さんは、13歳の中学入学と同時に合宿所に入り家を出ました。

その後母親はマンション購入や店を出すなど手を広げていきますが、バブル崩壊で多額の借金が残り、

東山紀之さんが返済をしたそうです。

バブル崩壊は東山紀之さんが25歳くらいの時なので、成人してからも苦労があったようですね。

バブル経済の末期、理容師の母は生活を安定させようと自分の店を開こうとしたり、僕の将来を思ってマンションをいくつか買っていたようです。それがバブルの崩壊で巨額の借金が残って……。僕が7〜8年かけて返済しました。そのとき、僕は商才のない母の血を引いているのだから、芸道以外のことに絶対手を出すまいと決めたのです」

引用:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1606993/

壮絶な子供時代、逆境を乗り越えて今の東山紀之さんがあるのですね。

お読みいただきありがとうございました。

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