福田淳さんが、「SMILE-UP.」の新社長に就任することが報じられました。
今回は福田淳さんの経歴について調査します。
福田淳のwikiプロフィール
始めに福田淳さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:福田淳(ふくだ あつし)
- 生年月日:1965年7月26日
- 年齢:58歳(2023年10月現在)
- 出身地:大阪府高槻市
- 学歴:日本大学芸術学部卒
福田淳さんは大阪生まれの58歳。
地元の小学校を卒業後、医者になる為に中高一貫の男子校に通いました。
6年教育を5年で終えて、残りの1年で興味のあることをいろいろしたそうです。
ゲーム攻略本がない時代に、仲間とゲームセンターでゲームをしながら自分たちで作成したり、
ラジオドラマを作りTBSに持っていき放送してもらったり、
8ミリフイルムでいろいろ撮影、編集。名だたる監督の自宅に伺い自分のフイルムをみてもらい、16ミリを撮るための予算30万円を調達するなど、なかなかの行動派だったそうです。
高校生時代には大学生がするような実践を、すでに経験されていたのですね。頭もいいけど行動力がハンパないですね!
高校卒業後は、日大芸術学部へ入学し演劇を開始。
当時のチケットは1枚300円で、学生はバイトをしながらチケットを売っていたそうです。
福田淳さんはそこに違和感を持ち、どうせ身内と友達しか来ないのだから1枚3000円に変更したそうです。
すると赤字経営だったのが、黒字へと転嫁。黒字のお芝居はすごいとみんなが見に来るようになり、さらに売り上げは上がったとのこと。
この経験で福田淳さんは、自分は役者・クリエイターではなくマーケターが天職だと気づいたそうです。
若くして、様々な経験をしたからこそ天職が早くわかったようですね。
福田淳の経歴!業界から干された過去や実績がすごい!
福田淳さんの経歴については、
- 1988年に東北新社に入社してスター・チャンネルに出向
- 1998年に株式会社ソニー・ピクチャーズテレビジョン・ジャパン(SPTVJ)の設立と同時に入社。衛星放送「アニマックス」・「AXN」の立ち上げにかかわった
- 2007年株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスとして独立し、その社長となった
- 2017年9月に株式会社スピーディを設立して社長就任。のんのマネージメントを行っているほか、芸能人・有名人の出演契約の整理・管理を行っている
- 2017年11月30日付けで株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスの社長を退任
- 2018年金沢工業大学 コンテンツ&テクノロジー融合研究所(東京・虎ノ門)研究員(客員教授)
- 2018年横浜美術大学 客員教授
- NPOアシャンテママ 代表理事
- NPOファザーリング・ジャパン監事
- 2005年文化庁「コンテンツ評価・ビジネスモデルに関する調査研究会」委員
- 2006年経済産業省「ITによる『情報大航海時代』の情報利用を考える研究会 『次世代知的情報アクセス』に関するビジョンと技術を考える分科会」委員
- 2009年度総務省「メディア・ソフト研究会」委員
受賞・選出
- 日経ビジネスオンライン主催「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」受賞 (2016年) [19]
- 日経WebCOMPANY「21世紀を読む! ITキーパーソン51人」選出 (2001年)[2]
素晴らしい経歴ですね。
では一つずつ見ていきましょう!
23歳:東北新社
大学卒業後、23歳でCM制作会社の東北新社に入社。
当時読売テレビも合格し倍のお給料を掲示されたそうですが、大阪に行かなくてはいけないのと、彼女がこちらにいたこともあり東北新社に決めたとのこと。
かっこいいですね!
東北新社では、コカ・コーラのCMや宮沢りえ主演の映画「僕らの7日間戦争」の助監督を歴任。
その後会社が衛生放送を使用したテレビ局を開始、スターチャンネル、スーパードラマTVなどたくさんのテレビ局を作りノウハウを習得したそうです。
29歳:退職
しかし1996年28歳の時に常務と衝突し退職。
当時は杉並区に一軒家を購入したばかりでベンツもローンを組んでいて、奥様と娘さんがいましたが家族には辞めたとは言えなかったそうです。
毎日ネクタイを締めて出かけては、日中はファミレスで時間をつぶしていたとのこと。
ですが、良くしてくれる仲間はたくさんいたそうで、毎晩食事に呼んでもらい余ったものを持ち帰り家族が食べたりする生活だったようです。
いざというときに助けてくれる仲間は、一生の宝物ですね。
再就職については困らないと感じていたそうです。理由は衛星放送やテレビ局造りのノウハウが自分にはあったから。
時代の先駆けだったようですね。
29歳:業界から干される
再就職は予想どおり、たくさんの企業から声がかかりました。
しかし、「年収1500万円以上でないと契約しない」などの態度や、「前の会社のオーナーがあいつは円満退社でない」と周りに連絡をすることなどがあり、就職できず業界から2年間も干されたそうです。
福田淳さんは現在株式会社スピーディの社長で、のんさんのマネージメントなどを手掛けていますが、
のんさんが芸能界から干された状況と、福田淳さんが当時テレビ業界から干された状況は同じようですね。
33歳:株式会社ソニー・ピクチャーズテレビジョン・ジャパン
業界から干されてから2年後、大きな転機が訪れます。
1998年に株式会社ソニー・ピクチャーズテレビジョン・ジャパンからヘッドハンティング!
ソニー社長と面接し、ソニー側は半年以内に8チャンネルものテレビを立ち上げる計画があると言われたそうです。
その時福田淳さんは、年収は1500万円以上、業界から干されているから自分は厄介な人間であることを伝えましたが、ソニー側は「うちはソニーだよ、そんなローカル関係ないよ」と一喝、お世話になることにしたそうです。
その後衛星放送「アニマックス」・「AXN」の立ち上げに関わりました。
2000年imode登場により、ソニーピクチャーズモバイルを設立。モバイル事業に専念します。
42歳:ソニー・デジタルエンタテインメント・サービス
ソニー社内起業スタートアップ制度を利用し、2007年株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスとして独立。
初年度は大赤字でしたが2年目の2008年、アニメ「ワールドゴールデンエッグス」が大ヒットしました。
アニメ以外でも女性誌の表紙を飾るなど大人気となり、安室奈美恵さんが、無償でいいのでアニメの吹き替えをしたいと言わせたほどの作品だったようです。
福田淳さんはガラケー時代の有料imodeモデルから、スマホ登場と同時に企業ブランディングへ移行。LINEを使用したコカ・コーラやP&Gの広告は大成功したそうです。
2017年11月30日付けで株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスの社長を退任。
52歳:株式会社スピーディ
2018年9月に株式会社スピーディを設立。ブランドコンサルティングとコミック、芸能事務所を3本柱としています。
芸能事務所を始めたのは、のんと出会いから。「娘と同じ年くらいの子が理不尽な思いをしている」ということから、マネージメントを行うことになったようです。
そして沖縄で、事務所の共同合宿生活などを行いました。そのご縁もあり沖縄のビラ経営を始めるなど、幅広く事業を展開しています。
2023年10月31日「SMILE-UP.」の新社長に就任することが報じられました。
お読みいただきありがとうございました。
今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
コメント