女優の中村メイコさんが、2023年12月31日に肺塞栓症で死去していたことが報じられました。
今回は、中村メイコさんの家族について調査します!
中村メイコwikiプロフィール
初めに、中村メイコさんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:中村メイコ(なかむら・めいこ)
- 本名:神津五月(こうづ・さつき)
- 生年月日:1934年12月31日
- 年齢:享年89歳
- 出身地:東京都
- 職業:女優、歌手、タレント
作家中村正常の一人娘として誕生。
2歳で映画デビューし様々な喜劇映画に立て続けに出演、天才子役として名をはせました。
デビュー作では、あの巨匠黒澤明さんが2歳の中村メイコさんのお世話係だったそうですよ!
映画の現場は、あの巨匠・黒澤明が、まだ助監督の時代。2歳のメイコの世話をしてくれていたという。
https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/prg_470/
NHKのラジオ時代を経てテレビ創成期から活躍。黒柳徹子と共にテレビ放送黎明期を語るうえでは欠かせない存在に。
戦後は、NHKラジオ「ジロリンタン物語」などに出演。「お姉さんと一緒」では、様々な年齢・性別の役を演じ分けて「七色の声」と評され、ラジオ番組で歌った「田舎のバス」は大ヒット。
その後は、テレビ、映画、舞台と活動の場を広げ、主に喜劇とホームドラマで活躍。「メイコのごめんあそばせ」やNHK「お笑いオンステージ」などでは軽妙で歯切れのいいしゃべりを披露しお茶の間の人気に。
NHK紅白歌合戦の紅組司会も務めたこともあり、晩年までテレビ番組やラジオ番組への出演を続けていましたた。
中村メイコさんは芸能一家としても知られ、プライベートでは1957年に作家神津善行さんと結婚されています。
家族構成について見ていきましょう!
中村メイコの家族構成!夫は作曲家・馴れ初めやおしどり夫婦の秘訣は?
中村メイコの家族構成についてですが、夫、子供3人の5人です。父親は作家の中村正常さんです。
夫
中村メイコさんの夫についてですが、
神津善行
神津善行さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:神津善行(こうづ よしゆき)
- 生年月日:1932年1月2日
- 年齢:92歳(2024年1月現在)
- 出身地:東京都
- 職業:作曲家、早稲田大学理工学部特別研究員。東京交響楽団理事、日本民謡協会理事
- 学歴:麻布中学校、 国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科
主に映画音楽を中心に約300曲を作曲し、歌謡曲や吹奏楽曲も作曲。エッセイなども執筆しています。
馴れ初め
1957年に中村メイコさんと結婚。出会いは1955年頃だそうです。
二人の馴れ初めは、
神津善行さんの編曲を、中村メイコさんが歌うことになったことがきっかけ
出逢った当時、中村メイコさんはすでに売れっ子スターであるにも関わらず、当時大学生だった神津善行さんは普通に接したそうです。中村メイコさんは、その対応がとても新鮮に感じたとのこと。
ちょっとトキメイタみたいですね。
華やかな芸能界に幼い頃からいたメイコさんは、チヤホヤしないで人として見てくれる善行さんに惹かれたのでしょうね~♥
中村メイコさんは結婚した理由について、
普通の感じが良かったから
と語っています。
「田舎のバス」がヒットした1955年ごろに出会った2人は57年に結婚。中村さんは「普通の感じが良かったから」と結婚理由を明かしていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd933c85c2f5ae9f8265ce94874ea14c5456ae25
普通の感覚は大事ですよね。
おしどり夫婦の秘訣
夫婦生活は65年で、芸能界のおしどり夫婦としても知られていました。
夫婦円満の秘訣については、
家の中でのちょうどいい距離感
家の中でも、朝食と夕食以外は顔を合わせない日もあり、互いの着替えや、化粧をするところは見せないようにしていたとのこと。
その秘訣(ひけつ)を中村さんは「家の中でのちょうどいい距離感」としていた。朝食と夕食以外は顔を合わせない日もあり、互いの着替えや、化粧をするところは見せないようにしていたという。他人行儀のようにも感じるが、神津氏もかつて「他人ですから気が合うことが一番」と語っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd933c85c2f5ae9f8265ce94874ea14c5456ae25
一見すると他人行儀な感じもしますが、この距離感が長年仲良くいられる秘訣なんですね~♪
この距離感は、実は中村メイコさんの母親から伝授されたもの。
作家の父親を支える母親を見て育ったので、“物書き”の「そっとしておいてほしい」という空気感が分かるのだそうです。
適度な距離感の裏側には、作家だった父正常さんを尊敬し支えた母チエコさんを見て育った環境があった。中村さんは“物書き”の「そっとしておいてほしい」という空気感が分かるといい、神津氏を家の中で気遣っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd933c85c2f5ae9f8265ce94874ea14c5456ae25
これは、環境もありますが持って生まれた感性・才能もありますよね。素晴らしいですね。
中村メイコの家族構成!娘は作家・女優で息子は画家の芸能一族
長女
中村メイコさんの長女についてですが、
作家の神津カンナ
神津カンナさんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:神津カンナ(こうづ かんな)
- 本名:神津十月
- 生年月日:1958年10月23日
- 年齢:65歳(2024年1月現在)
- 出身地:東京都
- 職業:作家、エッセイスト、コメンテーター、日本相撲協会の監事
- 学歴:東洋英和女学院高等部
- 著書:『親離れするとき読む本』(集英社文庫)『会えてうれしい花いちもんめ』(集英社文庫)『見えないオシャベリ』(集英社文庫)『カンナの同級生気分』(集英社文庫)『男と女の交差点』(集英社文庫)『胸いっぱいの愛を』(角川文庫)『水燃えて火 – 山師と女優の電力革命』(中央公論新社)
公庫卒業後ニューヨークへ渡米し、サラ・ローレンス大学演劇学科へ入学するも中退。
1980年5月に帰国、コロンビア大学英語学科に聴講生として通いました。
著書『親離れするときに読む本』で作家デビューし、ベストセラーになりました。
その後は国立女性教育会館運営委員などを務め、作家、エッセイスト、コメンテーター、日本相撲協会の監事などで活躍中です。
次女
中村メイコさんの次女についてですが、
女優の神津はづき
神津はづきさんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:神津はづき(こうづはづき)
- 生年月日:1962年8がつ31ひ
- 年齢:61歳(2024年1月現在)
- 出身地:東京都
- 職業:女優、刺繍アーティスト
- 学歴:東洋英和女学院高等部
- 代表作:映画愛しのチィパッパ(1986年)、二十四の瞳(1987年)、郷愁(1988年)、この胸のときめきを(1988年)、パイレーツによろしく(1988年)、死国(1999年)、いつか読書する日(2005年) – 渡辺看護師、日本の自転車泥棒(2006年)
高校卒業後ニューヨーク大学での留学生活を経て、1983年に花王名人劇場「わが家はカタログ」で女優デビュー。テレビ、映画、舞台、エッセイ、ラジオのDJなど各方面で活躍。
1992年に俳優の杉本哲太と結婚。3児の子供がいます。
刺繍アーティストでもあるようです。
2018年には、大人の女性のための家着ブランド「Petit Tailor R-60」を立ち上げました。
多才な実業家でもあるようですね!
長男
中村メイコさんの長男についてですが、
洋画家の神津 善之介
神津 善之介さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:神津 善之介(こうづ よしのすけ)
- 生年月日:1972年
- 年齢:52歳(2024年1月現在)
- 出身地:東京都
- 職業:洋画家
- 学歴:武蔵工業大学
大学卒業後の1992年にスペインのマヨルカ島に渡り、20世紀最後の印象派と呼ばれた画家J・トレンツ・リャドに師事。
97年に画家としてデビューして20年、マドリードに拠点を移し活動しています。
近年では二人暮らしの両親が心配で、たびたび帰国しては料理の腕を振るい、最近はベテラン主婦並みに保存食まで作るそうです。
親孝行ですね♪
中村メイコの父親は作家!母親は元女優でステージママ
父親
中村メイコさんの父親についてですが、
小説家の中村 正常
中村 正常さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:中村 正常(なかむら まさつね)
- 生年月日:1901年11月6日
- 年齢:享年80歳
- 出身地:東京都
- 職業:劇作家、小説家
- 著書:『ボア吉の求婚』『隕石の寢床』『花嫁戯語』『二人用寢臺』『ですネ物語』『現代ユーモア小説全集 第6巻 虹の下の街・チエコとチヤコ株式会社 他十八篇』『歳末遣繰譚・適齢ガール三人組』『彼女の新體制 ユーモア小説集』『社長陣頭に指揮す』
- 1927年:『不同調』(新潮社)に登場、岸田國士に師事。阪中正夫、阿部正雄らと『悲劇喜劇』の編集に従事
- 1929年:第2回『改造』懸賞戯曲に「マカロニ」が入選しデビュー
- 1930年:蝙蝠座同人として新興芸術派倶楽部に参加
- 1931年:讀賣新聞社入社。記者記事の内容を面白く書き直す仕事に従事。今日出海らと新劇運動をするかたわら「ボア吉の求婚」「隕石の寝床」などのナンセンスユーモア作品を発表
- 新興芸術派の衰退とともに文壇を去る
中村メイコさんは、2歳の時に映画デビューを果たしています。
きっかけは雑誌に掲載された父親との写真が、映画プロデューサーの目にとまったからとのこと。
この時父親は、「喜劇ならお貸しします」と承諾。映画は大ヒットし次々にオファーが来たそうです。
ですが、父親は「出たいかどうかをまずメイコに聞け。メイコが嫌がっているのに出演させるようなステージママにはなるな」そして「子どもに金を稼がせるものじゃない。お金はいただくな」と母親にくぎを刺したとのこと。
そんな父親からよく言われていた言葉が「君に涙は似合いませんぞ」でした。
「美人なら、泣き顔もさまになるんだけどなあ…」と言われたことで、幼い頃から自分は決して美人ではないことを自覚。「泣かない、愚痴をこぼさない、しかめ面しない」などいつもニコニコ過ごすことが自然と身に付いたと言います。
子供だからと甘やかさず、大人と同じように接していることが伝わりますね。
母親
中村メイコさんの母親についてですが、
元女優の中村チエコ
- 名前:中村チエコ
- 生年月日:1909年
- 出身地:愛知県
- 職業:女優、作家
- 著書:「おチエさんの老青春を生きる」「中村さんちのチエコ抄 娘メイコ、孫カンナ……と私 」「拝啓、あのねママ メイコと母の往復書簡」
九段の女学校を卒業後、築地小劇場に入り女優としてデビュー。
結婚後は筆を折った夫に代わり、ステージママとして娘メイコさんを女優に育て上げました。
中村メイコさんは幼い頃から芸能活動をして周りからはチヤホヤされていたそうですが、家に帰ると毎日家事のお手伝いをしていたそうです。
なので、23歳で結婚した時も家事に関しては何も困らなかったそうです。
煌びやかな芸能生活の裏では、地に足のついた生活を送っていたのですね。
素晴らしい教育ですね。これを受け継ぎ中村メイコさんも3人の子供を、働きながら育て上げました。
家族の誰よりも早く起きて朝食、お弁当作り。午後に仕事をこなして帰宅し毎日夕食を作って、再び仕事に行くなど、ワーママ、ママタレの先駆けだったようです。
お読みいただきありがとうございました。
中村メイコさんのご冥福をお祈りいたします。
コメント