歌手の大橋純子さんが、2023年11月11日に逝去されたと報じられました。
今回は大橋純子さんの家族構成について調査します!
大橋純子wikiプロフィール
初めに大橋純子さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:大橋純子(おおはし じゅんこ)
- 生年月日:1950年4月26日
- 年齢:73歳
- 出身地:北海道夕張市
- 学歴:藤女子短期大学
- 職業:歌手
- 事務所:OFFICE WALKER
大橋純子さんは、北海道夕張市で食堂を営む実家の4人兄弟の末っ子で、長女として生まれました。
子供のころから洋楽を中心とした環境で育ったそうです。
藤女子短期大学に進学後は、北海道大学の軽音楽クラブバンドに所属し北海道のHBCラジオで深夜放送のディスクジョッキーをするなど人気を博した。
1974年24歳で上京し1stアルバム『フィーリングナウ』でメジャー・デビュー。
1974年に上京し、ヤマハ音楽振興会でアルバイトをしながらその仲間とバンドで活動を開始する。
引用:Wikipedia
同じ事務所の尾崎紀世彦のライブツアーに同行し、前座を務めた。
1970年から10年間は北島音楽事務所に所属し、北島三郎を親交があった。
1977年27歳で、『大橋純子&美乃家セントラル・ステイション』名義でバンド活動し、「シンプル・ラブ」がヒット。
1978年28歳でTBS系ドラマ『獅子のごとく』の主題歌「たそがれマイ・ラブ」が『第20回日本レコード大賞』の金賞を受賞し自身最大のヒット曲となりました。
翌年29歳で作曲家の佐藤健と結婚。
プライベートでは79年に作曲家の佐藤健氏と結婚。仲人は北島三郎夫妻が務めた。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb494cfd7b1b441bd70bb6934b479698a2d898ce
1981年31歳の時に発売した「シルエット・ロマンス」はロングヒットし50万枚を売り上、同年末の『第24回日本レコード大賞』では最優秀歌唱賞を受賞。
2008年58歳からはclub circuit tourと題した、ライブツアーが恒例となります。
以後ラジオやテレビなどにも出演し、夕張応援チャリティー・カバー・アルバム『Terra』をリリース。中島みゆきや松山千春、GLAYら北海道出身のアーティストをカバーし話題となりました。
2018年68歳で早期食道がんと診断。
2019年には乳腺がんも見つかり、放射線と抗がん剤の治療を併用し翌19年3月に治療を終えて、
邦楽カバー第3弾『Terra3〜歌は時を越えて〜』をリリースするなど活動を再開した。
最初に初期の食道がんを公表したのは2018年3月。翌4月に左胸に乳腺がんも見つかり、放射線と抗がん剤の治療を併用。翌19年3月に治療を終えて活動再開したが、今年3月の定期検診で食道がんの再発が判明した
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb494cfd7b1b441bd70bb6934b479698a2d898ce
しかし2023年3月、定期健診にて食道がんの再発が認められ、11月に緊急入院し逝去されました。
体調が急変したのは1週間ほど前。緊急入院したまま帰らぬ人となった。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb494cfd7b1b441bd70bb6934b479698a2d898ce
大橋純子の家族構成!夫は作曲家の佐藤健で子供はいない?
大橋純子さんの家族構成についてですが、夫と二人家族です。
夫
大橋純子さんの夫は、
作曲家の佐藤健(さとうけん)さん
ご自身のアルバム「僕はひとり」は1972年頃に発売されているようです。
1972年。ユーミンのアルバムが出る前年のリリースだと記憶しています
引用:https://sugarbabe49.hatenablog.com/entry/20060803
村井邦彦さんの赤い鳥から、はっぴいえんど、その間にポップなアルバムのリリースの
空白の時代に咲いた花がこの佐藤健さんのデビューアルバム。
佐藤健さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:佐藤健(さとうけん)
- 職業:作曲家 編曲家 キーボーディスト
公表されている情報は少ないようです。
同じ漢字の佐藤健(さとうたける)さんではありません。
「佐藤 健」
←作曲家 役者→
#同じ名前でも全く違う物挙げろ pic.twitter.com/a6hkC58niQ
— パクちゃん✖️ (@pakuchan1964) September 30, 2018
同姓同名は結構いるんですね~♪
佐藤健・活動内容
佐藤健さんは1976年から、大橋純子さんのバックバンドとして「美乃家セントラル・ステイション」を結成しリーダーとして活躍。
以後、多くのアーティストに楽曲を提供し続けています。
代表作は、
池田聡:モノクローム・ヴィーナス
大橋純子:シンプル・ラブ ミスター・スマイル 坂の上の家 クリスタル・シティー スターライト・トレイン サファリ・ナイト ビューティフル・ミー
「シンプル・ラブ」というヒットソングが有名で美乃家セントラル・ステイションのキーボード
引用:https://sugarbabe49.hatenablog.com/entry/20060803
の佐藤健さんが作曲(作詞は松本隆さん)しています
この方は現在、大橋さんのパートナーであり、数々のヒット曲の作曲家兼アレンジャー兼プロデューサーであります
吉川晃司:RAIN-DANCEがきこえる
class:夏の日の1993
中森明菜:Fin
佐藤健さんはヒット曲も多く、ベストテンなどにも多く登場している曲ばかりですね!
馴れ初め
お二人の馴れ初めは、
勤務先のヤマハで、当時アルバイトをしていた大橋純子さんと出逢いました。
ヤマハのライト・ミュージック制作室勤務のころ、大橋と出会う。1976年(昭和51年)、大橋のバックバンドとして美乃家セントラル・ステイション(以下、美乃家)を結成する
引用:Wikipedia
子供
お二人のお子さんについてですが
公表されていないようです
ネットでも子供がいるという情報は見当たりません。
ですが、もしお子さんがいれば両親の才能を引き継いだ、音楽の才能あふれる方でしょうね。
両親
大橋純子さんのご両親は、
北海道夕張市で食堂を営んでいた
夕張市は今でこそ夕張メロンの一大産地ですが、当時の夕張市は1990年までは炭鉱の町として栄えていました。
労働者も多く、小さい頃から洋楽が流れる環境で育ったことが、ソウルフルな歌手大橋純子さんの根底にあるようですね。
現在お店は閉店しているそうです。
北海道夕張市で食堂を営む実家の4人兄弟の末っ子で、長女として生まれた。血液型はA型である。子供の頃より洋楽を中心とした環境で育った。
引用Wikipedia
兄弟
大橋純子さんの兄弟は、
兄が3人
兄弟の詳しい情報は公表されていないようですが、
男ばかりの兄弟で、みんなに可愛いがられたことでしょうね!
お読みいただきありがとうございました。
大橋純子さんのご冥福をお祈りいたします。
コメント