篠山紀信の家族構成!再婚した嫁は元アイドル南沙織で息子は3人!

写真家の篠山紀信さんが2024年1月4日に、亡くなったことが報じられました。

今回は、篠山紀信さんの家族構成について調査します!

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目次

篠山紀信のwikiプロフィール

初めに、篠山紀信さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:篠山紀信(しのやまきしん)
  • 本名:篠山紀信(しのやまみちのぶ)
  • 生年月日:1940年12月3日
  • 年齢:享年83歳
  • 出身地:東京都
  • 学歴:日本大学芸術学部写真学科、東京綜合写真専門学校

篠山紀信さんは、東京都新宿区にある真言宗豊山派円照寺の住職・篠山明信の次男として誕生。

私立芝中学校・高等学校に入学。高校時代まで生家の円照寺で過ごしたそうです。

しだれ桜が見事なお寺ですね!

大学受験では一般大学入試に失敗。特に写真好きではなかったそうですが日本大学芸術学部写真学科に入学。

ですが、写真学科に入ったからには極めようと、日大と併行し東京綜合写真専門学校にも通学。

在学中の1961年に広告写真家協会展APA賞を受賞。

経歴は、

  • 1961年21歳:広告制作会社ライトパブリシティに就職
  • 1966年26歳、東京国立近代美術館の「現代写真の10人」展に最年少で参加
  • 1973年33歳、デビューからのキャロルを激写し、キャロル売り出しに貢献
  • 同年『女形・玉三郎展』で芸術選奨新人賞受賞
  • 1975年35歳、雑誌『GORO』で歌手の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語に
  • 同年、初期の代表作大判写真集『家』『晴れた日』を創刊
  • 1976年36歳、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれる
  • 1978年38歳、写真集『大激写 135人の女ともだち』がベストセラーに
  • 1978年から1997年にかけては『週刊朝日』の表紙写真を撮影
  • 1980年40歳、篠山をメインにした写真雑誌『写楽』が創刊
  • 1980年に始まった『週刊朝日』表紙の女子大生シリーズからは、何人もの女優や女子アナウンサーを輩出
  • 1991年51歳、女優の樋口可南子をモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」宮沢りえのヌード写真集「Santa Fe」などヘアヌードブームを巻き起こした
  • 2020年60歳、第68回菊池寛賞を受賞

素晴らしい経歴ですね!

篠山紀信さんの作品数の多さ、ジャンルの多様さはヌードから歌舞伎まで他の写真家を遥かに凌ぐと言われています。

ジョン・レノンの生前のラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影は篠山紀信さんの作品です。

https://www.gqjapan.jp/culture/bma/20150305/double-fantasy

素敵ですね♡

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篠山紀信の家族構成!再婚した嫁は元アイドル南沙織

篠山紀信さんの家族構成についてですが、嫁と息子が3人の5人です。

篠山紀信さんの嫁についてですが、

元アイドル南沙織

南沙織さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:南 沙織(みなみ さおり)
  • 出生名:内間明美 
  • 別名:シンシア(Cynthia 英語名)・ポーリー(Paule フィリピン人義父の姓)
  • 本名:篠山明美(旧姓:内間)
  • 生年月日:1954年7月2日
  • 年齢:69歳
  • 出身地:沖縄県宜野湾市
  • 学歴:上智大学
  • 職業:元歌手・アイドル
  • 活動期間:1971年~1978年、1991年~1997年

ハーフと言われているようですが、母の再婚相手(義父)がフィリピン人で、実は両親とも日本人だそうです。

フィリピン人とのハーフであるとされてきたが、正しくは両親とも日本人で母の再婚相手(義父)がフィリピン人である

引用:Wikipedia

地元沖縄で、琉球放送の「視聴者参加型のど自慢テレビ番組」のアシスタントのアルバイトをしていたときに、CBS・ソニーからスカウトされ、本土復帰前の沖縄から母親と二人で上京。

3か月後に「17歳」でデビューし約54万枚の大ヒットとなりました。

デビュー当時の南沙織さんのインパクトは、まるで沖縄返還のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらいと篠山紀信さんは語っています。

デビュー時の南のインパクトについて、写真家の篠山紀信は「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と述懐しており

『CYNTHIA ANTHOLOGY』(2000.6.7、ソニーレコード)解説本より。

日本のアイドル第一号、元祖アイドルと言われているようです。

同年には日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK『第22回NHK紅白歌合戦』にも初出場。

プロマイドも、1971年、1972年の年間売り上げで第1位を獲得するなど、トップアイドルになりました。

ですが、1978年24歳の時に上智大学での学業に専念するため引退しました。

しかし1983年には、”Cynthia” 名義で作詞家としての活動や、1991年には14年ぶりに紅白出場を果たしました。

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結婚

お二人は、

1979年に結婚

南沙織さんは1978年24歳の時に、学業に専念するため芸能界を引退しました。

しかし翌年には結婚していることから、学業だけの引退ではなかったようですね。

篠山紀信さんは前妻ジューン・アダムスさんと1971年に結婚。1976年には離婚されているので、南沙織さんとは、再婚になります。

前妻との間には2人の娘がいるので、篠山紀信さんの子供は全員で5人になります。

篠山紀信さんのと南沙織さんの馴れ初めや、交際はいつからだったのでしょうか?

馴れ初め

二人の馴れ初めについてですが、

レコードジャケット撮影

篠山紀信さんは、南沙織さんのレコードのジャケット写真を、シングル20枚アルバム25枚も手掛けています。

2人の出逢いは1971年の南沙織さんのデビュー時なので、出逢いから8年目に結婚されたようです。

交際時期

二人の交際時期についてですが、

南沙織が引退したあと1978年

といわれています。

南沙織さんは、1978年に「さよならコンサート」をしていますが、この2週間後にはヨーロッパで二人でいるところを女性誌に撮られています。

帰国後には同居を始め、篠山紀信さんの自宅から大学に通っていたそうです。

3人の子宝に恵まれました。

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篠山紀信の家族構成!息子は3人!

篠山紀信さんと南沙織さんの子供は、3人です。

次男

篠山紀信さんの次男についてですが、

俳優の篠山 輝信

3人兄弟の次男で[1]、4歳上の兄と2歳下の弟がいる。

引用:Wikipedia
https://www.oricon.co.jp/news/2129352/photo/1/

篠山紀信さんの、wikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:篠山 輝信(しのやま あきのぶ)
  • 生年月日:1983年12月10日
  • 年齢:40歳(2024年1月現在)
  • 出身地:東京都
  • 学歴:玉川大学芸術学部
  • 職業:俳優
  • 代表作:ドラマ『ダンドリ。〜Dance☆Drill〜』『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』

大学卒業後、舞台『ANGEL GATE -春の予感-』に出演し、ドラマ『ダンドリ。〜Dance☆Drill〜』で坊主頭の野球部員を演じるなど俳優として活躍。

2007年には、バラエティー番組『踊る!さんま御殿!!』などに出演。

2010年からはNHK『あさイチ』でリポーターを務めました。

2019年には『あさイチ』で共演したNHKアナウンサーの雨宮萌果さんと結婚しましたが、2022年に離婚をされています。

南沙織さんに、そっくりですよね!

長男

篠山紀信さんの長男についてですが、

公表されていません。一般の方のようです。

ですが、次男篠山紀信さんの4つ年上なので、1979年生まれの44歳になります。

篠山紀信さんと南沙織さんが結婚した年に生まれているので、授かり婚のようですね。

三男

篠山紀信さんの三男についてですが、

公表されていません。一般の方のようです。

ですが、次男篠山紀信さんの2つ年下なので、1985年生まれの38歳になります。

お読みいただきありがとうございました。

篠山紀信さんのご冥福をお祈りいたします。

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