女優の山本陽子さんが2024年2月20日、病気のため静岡・熱海市内の病院で死去したことが21日に報じられました。
山本陽子さんは生涯独身だったそうですが、歴代の彼氏は大スターばかりだったと言われています。
今回は、山本陽子さんの彼氏について調査します。
山本陽子wikiプロフィール
初めに、山本陽子さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:山本陽子(やまもとようこ)
- 生年月日:1942年3月17日
- 年齢:享年81歳
- 出身地:東京都中野区
- 学歴:國學院高等学校
- 事務所:株式会社三陽企画
年子の4人兄弟の3番目として誕生。高校卒業後は野村証券に勤務。
1963年に知人が日活に書類を送ったことがきっかけで、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り。同年女優としてデビューを果たしました。
当時は、日活3人娘(吉永小百合・松原智恵子・和泉雅子)が人気を博し、作品にめぐまれなかったようです。
しかし、テレビに活躍の場を移してからは、清楚な役から悪女まで幅広い演技で高視聴率女優の1人として人気を博し、女優としての地位を確立しました。
白い影
「白い影」は、渡辺淳一の小説『無影燈』を原作としたテレビドラマで、1973年7月に放送されました。
オリエンタル病院を舞台に、謎めいた外科医・直江庸介と、ナースの志村倫子が惹かれあっていく物語。
主演の外科医役に田宮二郎さん。その恋人役に山本陽子さんが出演しています。
2001年には中居正広主演で2度ドラマ化されています。
黒革の手帳
黒革の手帳は、松本清張の長編小説。巨額の金を横領し、銀座のクラブのママに転身した女性銀行員を、魑魅魍魎が跋扈する世界を背景に描く、サスペンスの松本清張の代表的長編作です。
黒革の手帳は、今までに7回もテレビドラマ化されています。
- 1982年松本清張の黒革の手帖:原口元子‐山本陽子、安島富夫‐田村正和、山田波子 – 萬田久子
- 1984年松本清張の黒革の手帖:原口元子‐大谷直子、安島富夫‐潮哲也、山田波子 – 奈良富士子
- 1996年松本清張特別企画・黒革の手帖:原口元子 – 浅野ゆう子、安島富夫 – 美木良介、山田波子 – 田中美奈子
- 2004年松本清張黒革の手帖:原口元子 – 米倉涼子、安島富夫 – 仲村トオル、山田波子 – 釈由美子
- 2005年黒革の手帖スペシャル〜白い闇:原口元子 – 米倉涼子
- 2017年黒革の手帖:原口元子 – 武井咲、安島富夫 – 江口洋介、山田波子 – 仲里依紗
- 2021年ドラマスペシャル 黒革の手帖~拐帯行~:原口元子 – 武井咲、山田波子 – 仲里依紗
第1回目の作品の主演が山本陽子さんです。1982年にテレビ朝日系の「月曜劇場」枠で放送されました。
色っぽいですね。
1994年の『おはん』の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞、上演回数は400回以上を記録。
山本海苔店のイメージモデルを長年務め、2010年には42年という専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定されました。
2012年頃から70歳を機に、東京から静岡県熱海市へ移住し生活を送っていました。
2024年2月2日には、徹子の部屋に出演されていました。
2024年2月20日、病気のため、熱海市内の病院で死去しました。
山本陽子に結婚歴はない|生涯独身で田宮二郎との関係は?
結婚歴
山本陽子さんの結婚歴についてですが、
結婚歴はありません。生涯独身のようです。
ですが、「過去に結婚したいと思う人はいた」と語っています。
また、結婚については「過去に結婚したいと思う人はいたけれど、縁がなかったんでしょうね」と回想している
Wikipedia
OL時代には料理教室にも通っていたことから、結婚願望はあったように思います。
OL時代に市ヶ谷にあった料理研究家・江上トミの教室で料理の基礎を学んだこともあり、毎日自炊している。
Wikipedia
生涯独身を貫いた山本陽子さんですが、熱愛報道もありました。
俳優の田宮二郎さんと、沖田浩之さんです。お二人とも若くして亡くなっています。お二人とも自殺されています。
若い頃、熱愛が報じられた俳優、田宮二郎さん(享年43)は78年に死去。交際宣言した21歳下の俳優、沖田浩之さん(享年36)は99年に急死し、生涯独身を通した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f450796b
c0b6776726b1cf8be631052d9acf4706?page=2
山本陽子・田宮二郎との関係
- 名前:田宮二郎(たみや じろう)
- 生年月日:1935年8月25日
- 年齢:享年43歳
- 出身地:大阪府大阪市北区
- 身長:180㎝
- 学歴:学習院大学政経学部経済学科
- 職業:俳優・司会者
山本陽子さんと、田宮二郎さんとの関係は、
田宮二郎さん名義の部屋に、山本陽子さんが住んでいたことから愛人説が噂されました。
二人は1973年の「白い影」で共演していました。愛人説が流れたようですが、田宮二郎さんが亡くなったあとも、山本陽子さんから田宮二郎さんを語ることは一度もなかったと報じています。
初スキャンダルは73年の「白い影」で共演した田宮二郎との不倫。「田宮名義の部屋に山本が住んでいたことから愛人説が流れた。田宮下自宅で猟銃自殺した78年頃に改めて2人の仲が取り沙汰されたが未だに山本の口から田宮の話が語られたことはない」
https://bunshun.jp/articles/-/68870?page=2
墓場まで持って行ったということでしょうね。
山本陽子に結婚歴はない|生涯独身で沖田浩之との関係は?
山本陽子・沖田浩之との関係
山本陽子さんと、沖田浩之さんとの関係についてですが、
結婚も考えてお付き合いをしていたが、破局した
熱愛報道の1983年当初は、お二人は熱愛を否定し友達関係であるとしていました。
ですがその後、交際宣言をして2年ほどのお付き合いが続きその後破局しています。経過は以下の通りです。
- 1983年:最初の報道
- 1984年:交際否定からの交際宣言
- 1985年:ドラマ再共演
- 1986年:結婚を考えていたが破局
- 1999年:沖田浩之自殺
一つずつ見ていきましょう。
1983年:最初の報道
最初の目撃情報は1983年1月、六本木のクラブでお互いに見つめ合いながら頬を近づけ、額を寄せ合うようにして話していた姿が目撃されています。当時山本陽子さんは40歳、沖田浩之さんは20歳でした。
冷え込みの厳しい1月20日の夜11時過ぎ。芸能人やモデル関係者がよく訪れるという六本木のクラブの奥まったテーブルで、沖田と山本が親しそうに飲んでいる姿が目撃された。常連客によると2人はお互いに見つめ合いながら頬を近づけ、額を寄せ合うようにして話していたという。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833
当初はお付き合いをお互い否定。沖田浩之さんは、「陽子さんを友達だと思っている」とコメント。
マネージャーはドラマで共演しているので、演技などのアドバイスをしてもらっているとコメントしていました。
2人の初共演はドラマ「愛を裁けますか」(82年、TBS)で、山本が高校教師、沖田が教え子役だった。沖田のマネジャーは「(ドラマでの関係もあって)演技や人生観など、いろいろアドバイスしてもらっているようですね」とコメント。(中略)「難しい仲じゃないんです。ボクは陽子さんを友達だと思っている」と爽やかに答えた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833
1984年:交際否定からの交際宣言
ですが、その後も続いていたようで、山本陽子さんのマンションに沖田浩之さんが出入りして、時には泊まることもあると報じています。
沖田浩之さんは「好きだけど恋人ではない、山本さんみたいな大女優とウワサになってうれしい」と交際を否定。
「山本のマンションに沖田が出入りして、時には泊まることも」「2人は“陽子さん”“ヒロくん”と呼び合い、年齢差を感じさせない親密さを見せている」といったウワサが飛び交った。(中略)
「山本陽子さんのことは好きですよ。好きだけど恋人なんかじゃない」「(恋愛感情とは)違うというと、山本さんに失礼ですが、やっぱり違う。山本さんみたいな大女優とウワサになってうれしいだけです」と恋人関係を否定。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833
一方の山本陽子さんも、「恋人? うれしいわァ、そんな若い子」などと語っていました。
山本も「恋人? うれしいわァ、そんな若い子、ハハハ」「男と女の関係があったら意識的に私の家には来ませんよ」と語った。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833
ですがその後沖田浩之さんは、「恋人であり、結婚相手であり、母親でもあり陽子さんはすべて」とは交際宣言をしています。
1984年には堂々の交際宣言。沖田さんは「僕にとって陽子さんはすべてです。恋人であり、結婚相手であり、そして母親でもあります…」とアツアツぶりを語ったものだった。
https://www.daily.co.jp/gossip/1999/03/30/0011318030.shtml
1985年:ドラマ再共演
1985年には、ドラマ「二度目のさよなら」で共演。山本陽子さん演じる人妻が、14歳年下の青年(沖田)の子どもを身ごもるという設定でした。
制作発表会見では、山本陽子さんは「どこかオーバーラップするところがあるかもしれませんが」と、沖田浩之さんにしなだれかかってノロケてみせるなどしていたようです。
制作発表会見では、山本が「どこかオーバーラップするところがあるかもしれませんが」と言って沖田にしなだれかかってノロケてみせた。「婚約発表みたいに見えますか」と顔を見合わせるシーンも。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833/2
今では再放送できないような感じのドラマですね。。。
ですが、ラブラブですね♥
1986年:結婚を考えていたが破局
1986年には山本陽子さんは、沖田浩之さんの母親から「ウチの息子をいったいどうするつもりなんですか」と詰め寄られ、結婚を意識するようになったと報じています。
86年に沖田の母親から「ウチの息子をいったいどうするつもりなんですか」と詰め寄られ、作家の宇野千代からも「沖田くんのことどうするの?」と聞かれた山本は「まじめに結婚したいと考えている」と答えるようになった。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833/2
しかし、沖田浩之さんの浮気が噂され、二人は破局したと報じています。
だが、沖田は新人女優にちょっかいを出しているというウワサも出るようになり、最終的に破局。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833/2
交際期間は2年ほどだったそうですが、年の離れた2人の交際には反対の声が多く、山本陽子さんが身を引く形で交際は消滅したそうです。
1999年:沖田浩之自殺
沖田浩之さんは、1995年に一般女性と結婚しました。その4年後に首吊り自殺で亡くなっています。
沖田は95年に一般女性と結婚。4年後の99年に首吊り自殺し、世間に衝撃を与えた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/146833/2
山本陽子さんは「思い出を青春の1ページとして残しておきたいです」とお悔やみの言葉を述べています。
「彼は非常に優しくて、完璧主義者で、誰からも愛されて素晴らしい人間でした。今は青春の1ページとして(思い出を)残しておきたいです。適当な…言葉が浮かびません。心からご冥福をお祈りいたします」
https://www.asagei.com/excerpt/287044
お読みいただきありがとうございました。
山本陽子さんのご冥福をお祈りいたします。
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