上川陽子外務大臣を取り上げます。
今回は、上川陽子さんの経歴について調査します!
上川陽子wikiプロフィール
初めに、上川陽子さんのwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:上川陽子
- 生年月日:1953年3月1日
- 年齢:70歳(2024年1月現在)
- 出身地:静岡県静岡市
- 出身大学:東京大学教養学部国際関係論専攻、ハーバード大学公共政策大学院
- 経歴:三菱総合研究所社員、ボーカス米上院議員政策スタッフ、(株)グローバリンク代表取締役
- 所属:自由民主党
- 家族:6人(夫・子供2人・両親)
静岡県静岡市で誕生、高校までを過ごしました。
高校生の時に外交官やパブリックポリシー(公共政策)に興味を持ち、東京大学教養学部に入学し上京。
高校生のときには外交官になりたいとか、いろいろな可能性を考えましたが、パブリックポリシーに非常に興味があって、大学で国際関係論を専攻し、最終的には研究所に入って、パブリックポリシーのお手伝いをしようと思ったんです。
https://www.kamikawayoko.net/old/archive/media/2003/2008091501.html
高校生で、パブリックポリシー(公共政策)に興味がある子って聞いたことがないかも。一歩も二歩も先をいっているようですね♪
上川陽子の経歴|35歳で政治ベンチャー企業設立の実業家!
上川陽子さんの経歴についてご紹介します。
- 大学卒業後:三菱総合研究所研究員
- 1986年33歳:ハーバードケネディ・スクールに留学
- 1988年35歳:ハーバード大学大学院で政治行政学修士号を取得
- 米国上院議員の政策立案スタッフを務め、大統領選挙運動にも参加
- 同年:35歳(株)グローバリンクを設立し代表取締役に就任
華やかな名前が並んでいますね!
一つずつ見ていきましょう!
三菱総合研究所研究員
大学卒業後、三菱総合研究所に入職。研究員として官公庁向けのシンクタンク業務に従事。
33歳:留学
1986年33歳の時に、ハーバードケネディ・スクールに留学しました。
ケネディスクールは、1936年にハーバード大学に設立された公共政策大学院です。基本的には、公共政策や、国際関係論、外交、安全保障、金融政策、経済政策、貿易政策など、国家レベルの大きなを話をする学校です。
また、NPOや市民運動などの活動を通じて、草の根レベルから社会的問題を解決していくための手法を学ぶ場でもあるそうです。
上川陽子さんは日米貿易摩擦で日米関係に関心を持ったことで、実際に現場を見ないといい政策提言ができないのではないかと考え留学したそうです。
ケネディスクールの、初日本人女性は上川陽子さんだったそうです。
みんなの先をいってますね♪
高校生からやりたかった「公共政策」が国家レベルで学べる大学ですね!素晴らしいです!
35歳:政治行政学修士号を取得
1988年35歳:ハーバード大学大学院で政治行政学修士号を取得。
米国上院議員の政策立案スタッフ
米国上院議員の政策立案スタッフを務め、大統領選挙運動にも参加。
1988年にハーバード大学大学院で政治行政学修士号を取得。その後、米国上院議員の政策立案スタッフを務め、大統領選挙運動にも参加しました。
引用:https://go2senkyo.com/articles/2017/08/03/31546.html
キャリアウーマンて感じですね♪
35歳:グローバリンクを設立
1988年に帰国後、35歳で政策コンサルティング会社の株式会社グローバリンク総合研究所を設立し、代表取締役に就任。
1988年には株式会社グローバリンク総合研究所を設立しました。
引用:https://go2senkyo.com/articles/2017/08/03/31546.html
官公庁を中心とした公的機関から委託を受けて、冷戦後の国際情勢やエネルギー、環境問題について分析し、政策面で助言をする政治のベンチャー企業だそうです。
事業設立のきっかけは、三菱総研に入ったもののシンクタンクではパブリックポリシーを作ることはできるが、決定ができない。政策を政治家たちと一緒につくっていくタイプのビジネスをしたくて設立したそうです。
そして「官僚の組織ともう一つの政策立案のメカニズムをつくらない限り日本は強くなれない」と思ったとのこと。
しかし、営業をしてもなかなか仕事が取れなかったそうです。ビジネス展開の時期が早すぎたようです。
やっぱり、一歩も二歩も先をいっているようですね♪
ですが、あきらめず地球環境問題について官庁の研究調査のお手伝いや、企業コンサルティング、汐留の再開発の仕事など多岐にわたって11年携わったそうです。
たくさんの仕事にチャレンジ。素晴らしい!この経験は政治家になってからも役立っているそうです。
そして、事業を進めていく中で、もっと意思決定に近いところまでいかないと、パブリックポリシーに関わる仕事は完結しない、そのためには「政治」の力が必要だと気づいたそうです。
日本社会は政治に関わらないと何も変わらない、政治をやってみたいと思ったとのこと。
また、アメリカ留学時代に海外から日本を眺め、改革の必要性を痛感。留学経験が政治家を目指したきっかけにもなっています。
そして、東京から故郷の静岡に戻り、政治の道へと進みます。
上川陽子の経歴|政治家
政治家としての経歴をご紹介します。
- 2000年第42回衆議院議員選挙で初当選
- 2004年自民党女性局長に就任
- 2005年第3次小泉改造内閣で総務大臣政務官に任命
- 2007年第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣に就任
- 2009年第45回衆議院議員総選挙では比例復活もならず落選
- 2012年の第46回衆議院議員総選挙で国政に復帰
- 2013年第2次安倍内閣で総務副大臣に就任
- 2014年第2次安倍改造内閣で自由民主党女性活躍推進本部長
- 2014年法務大臣に就任
- 2014年第3次安倍内閣で法務大臣に再任
- 2016年自民党女性活躍推進本部長、自民党司法制度調査会長
- 2017年第3次安倍第3次改造内閣で法務大臣に任命
- 2018年自民党一億総活躍推進本部長
- 2019年菅義偉内閣で3度目の法務大臣に就任
- 2021年自民党人生100年時代戦略本部長・自民党幹事長代理・自民党党改革実行本部座長
- 2023年9月岸田内閣の内閣改造で外務大臣
2000年の初当選後、自民党女性局長などに就任していましたが、2009年に落選し3年間の浪人生活を味わいました。
ですが、2012年には国政に復帰し2014年、2017年、2021年と年を追うごとに得票率投票数ともに伸ばし、当選は7回、法相は3回務めています。
43歳:落選
1996年43歳で、第41回衆議院議員選挙に無所属で静岡1区選挙区から出馬するも、落選。
いきなり落選してしまいました。
政治というのは、まず公認をもらえるかどうか、候補者として社会的に認められるための儀式があって、その壁をまず飛び越えなければいけないそうです。
女子校の出身のため、お嬢さんの気まぐれで落選したらすぐにやめるのだろうという冷ややかな声もあったようですよ。
厳しいですね。
47歳:初当選
2000年47歳で、第42回衆議院議員選挙で無所属、静岡1区選挙区から出馬し、初当選を果たしました。
スタートしてから初当選まで七年半かかったそうです。「支援者の皆さんとの触れ合いや絆なくして今の自分はない」と語っています。
ほんとうに草の根の一人一人にお願いして、運動体としては完全な市民運動ですね。支援者のみなさんとの触れあいや絆なくしていまの私はないと思っています。
https://www.kamikawayoko.net/old/archive/media/2003/2008091501.html
選挙では銀行員の夫に代わり、20歳の長女が街頭に立ち頭を下げて応援してくれたそうです。
子供が親のために頭を下げる場面はあまりないので、これには胸が熱くなりますね。
当時5歳の次女さんも応援、家族総出の選挙だったそうです。家族の絆がまたひとつ深まったようですね。
自民党に入党していましたが、自民党公認候補がいながら、静岡1区での出馬を強行したため自民党を除名されました。
やっちゃいましたね。
ですが、2001年に自民党に復党しています。
2003年50歳、第43回衆議院議員選挙で静岡1区選挙区で敗退も、比例東海ブロックで復活し当選。
51歳:自民党女性局長
2004年には、自民党女性局長に就任。
結党50年の記念事業として、女性局独自の政策少子化を掲げ「子どもHappyプロジェクト」として発表。国の予算に反映させる政策提言をまとめました。この活動は代々受け継いでいるようです。
2005年52歳、第3次小泉改造内閣で総務大臣政務官に任命
2007年53歳、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣に就任
2009年55歳、第45回衆議院議員総選挙では比例復活もならず落選
3年間の浪人生活となりました。ですが、
2012年59歳、第46回衆議院議員総選挙で国政に復帰
2013年60歳、第2次安倍内閣で総務副大臣に就任
2014年61歳で、法務大臣に就任
2016年63歳、自民党女性活躍推進本部長、自民党司法制度調査会長
64歳:法務大臣
2017年64歳で、第3次安倍第3次改造内閣で法務大臣に任命
成人年齢を18歳に引き下げる民法改正に取り組んだほか、18年7月にはオウム真理教元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら13人に死刑の執行を命じています。
2019年のインタビューでは、死刑執行の決断について、「そのとき、どう判断したのか。これは永遠に問われるものだと思います。他人から問われる以上に、自分自身、問い続けていく責任がある」と述べています。
「100代目の法相として、そのとき、どう判断したのか。これは永遠に問われるものだと思います。他人から問われる以上に、自分自身、問い続けていく責任がある。政治家としてどういう姿勢で臨むかを考えたとき、私心をどこまで取り除くことができるか。政治は究極の公共だと思っています」
https://christianpress.jp/kamikawa-yoko/
2018年自民党一億総活躍推進本部長
2019年菅義偉内閣で3度目の法務大臣に就任
法務大臣は3度も歴任し、歴代最多の16人の死刑執行を命じており、上川法相やその家族には相当長期にわたりSPがつくことになると報じています。
上川陽子法相(65)は、前回の法相在任中にも死刑執行を命じており、歴代最多の16人の執行を命じたことになる。上川法相やその家族には相当長期にわたりSPがつくことになるのは間違いない。
引用:https://smart-flash.jp/sociopolitics/46323/
2021年自民党人生100年時代戦略本部長・自民党幹事長代理・自民党党改革実行本部座長
2023年9月岸田内閣の内閣改造で外務大臣
2024年1月にはウクライナの首都キーウを訪れました。ドミトロ・クレーバ外相と会談中に空襲警報があり地下シェルターで再開するなど精力的に活躍しています。
お読みいただきありがとうございました。
今後の益々のご活躍をお祈りいたします。
コメント