木原 誠二内閣官房副長官が話題になっています。
今回は木原誠二の政治家人生の分岐点3つ!若い頃の英国での出会いとは?を調査します。
木原誠二の政治家人生の分岐点3つ!若い頃の英国での出会いとは?
最初に結論からお伝えします。
木原誠二さんの政治家人生の分岐点3つは
①:若い頃の英国での出会い
②:選挙に当選
③:選挙に落選
です。
では一つずつ見ていきましょう!
①:若い頃の英国での出会い
木原 誠二内閣官房副長官が政治家を目指したきっかけはサッチャー元首相の言葉でした。
・なんで役人なんてやっているの?世の中で最もつまらない仕事をしているわね。男に生まれたら政治家になるべき!
・政治は信念を実現する最高の人間活動である
という言葉が強烈で、これがきっかけで政治家に興味が出たと言われています。
詳しく見ていきましょう!
1995年 きっかけはサッチャー元首相
木原 誠二官房副長官はイギリスには2回行っています。
1回目は1995年から1997年25歳の時、役所から移動をしてロンドン大学へ留学。
当時ロンドン大学ではサッチャー元首相が名誉学長をしていました。
大学の夕食会でサッチャー元首相の目の前の席になり、自宅にも1、2度伺ったことがあるそうです。
そこで「なんで役人なんてやっているの?世の中で最もつまらない仕事をしているわね」と言われ、
さらに「男に生まれたら政治家になるべき!」とも。
この言葉が強烈すぎて政治家を目指すようになったそうです。
サッチャー元首相は木原 誠二官房副長官が、政治家を目指すきっかけになった人なんですね。
サッチャー首相はイギリス初の女性首相で、1979年から1990年の11年間の長期にわたり首相をしていた「鉄の女」と言われていた人物。
役人になりイギリス留学でテニスをしながら、楽しい留学ライフを送っていた木原 誠二官房副長官には
かなり強烈なパンチであったと想像します。
1999年 2回目の出会い
2回目は1999年29歳の時に、大蔵省から交換職員という形でイギリス大蔵省に出向しました。
イギリス人の税金で暮らしイギリスのために働いたとのこと。
日本で初の交換職員だったそうです。
こんなシステムがあったんですね!
木原 誠二官房副長官は、幼い頃からシカゴやアムステルダムなどで暮らした帰国子女で英語に堪能。
日本では東京大学法学部を卒業したエリートです。
東京大学ではテニス部のキャプテンを務め全国大会出場も果たしたスポーツマン。
この大学生活では、「練習は嘘をつかない、人を引張るには率先して自分が動くしかない」という二つのことを学んだそうです。
そんな優秀でリーダーシップが取れる若手の人材を育てたい日本政府の気持ちもなんだかわかります。
このイギリス大蔵省勤務時代に、サッチャー元首相にインタビューをする機会があったそうです。
サッチャー元首相は「政治は信念を実現する最高の人間活動である」と説いて下さり、
この2回目の出会いで、木原 誠二官房副長官が描いていた「今までの政治への思い」が本物になったそうです。
②:2005年選挙に当選
大蔵省入職12年目、35歳の時に自民党からの出馬要請が政治に入る転機でした。
当時自民党は郵政民営化関連法案の採決で大量の造反者が出たために、総選挙で人数が足りず大幅な人員募集をかけました。
その選挙で自民党から初当選した83人が、杉村太蔵・片山さつき・稲田朋美・佐藤ゆかりなどの小泉チルドレンと言われた議員で、木原 誠二官房副長官もそのひとりです。
サッチャー元首相のインタビューから6年後には夢が実現したのですね!
③:2009年選挙で落選
順風満帆な政治活動をしていましたが、38歳の時に政権交代選挙で落選。
その後、民間企業へ就職しヘッドハンターという人と人とをつなぐ仕事を経験しました。
「会社は人によって組織が変わる。この経験は今の政治活動に活かされている」と話しています。
落選して政治家は一度辞めましたが、この民間企業での経験がターニングポイントになったのですね。
そして、2012年再選を果たします。現在は、岸田総理の片腕として内閣官房副長官に就任しています。
失敗は成功の元。人生諦めてはいけないですね。
木原誠二プロフィール
最初に木原誠二さんのプロフィールをご紹介します。
名前:木原 誠二
生年月日:1970年6月8日 53歳
出身地:東京都渋谷区
所属政党:自由民主党(岸田派)
学歴
木原誠二さんの学歴ですが、
出身中学:武蔵中学校
出身高校:武蔵高等学校
出身大学:東京大学法学部
さすが、岸田政権の懐刀!素晴らしい高学歴ですね!
木原誠二の経歴
1993年 大倉省入職(証券局企業財務課)
1995年~97年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)留学
1999年 イギリス大蔵省に出向し3年間勤務
2001年 財務省大臣官房文書課長補佐(審査管理)兼大臣官房秘書課長補佐
2003年7月 国際局の課長補佐を2年間務める
2005年7月10日 岩見沢税務署長に転任。郵政解散を受け出馬のため8月17日に財務省に復籍し退職
2005年 衆議院議員初当選
2009年 衆議院議員落選
2009年 縄文アソシエイツでコンサルタント業務
2012年 衆議院議員再選
2013年 外務大臣政務官(第2次安倍内閣)
2015年 外務副大臣
2017年 政務調査会副会長兼事務局長
2020年 衆議院内閣委員会委員長
2021年10月 内閣官房副長官(政務)、内閣総理大臣補佐官(同年12月に辞任)
2023年2月 内閣総理大臣補佐官を兼務
素晴らしい経歴ですね!
お読みいただきありがとうございました。
コメント